キャリア・教育

2021.12.10 10:35

マーケターとして飛躍。事業責任者も経験したCMOが語るキャリアの描き方

植野大輔(左)、リュウ・シーチャウ(右)


キャリアに生かす投資思考


植野:次は香港のカントリーマネジャー、つまりトップとして事業を立て直したのもすごいですね。
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リュウ:新しいことは好きだからぜひ、と引き受けました。60~70人の組織です。香港には住んだこともないし、言葉もわからない。例えば、「香港人は家族をすごく大事にするから、日本のようにすぐ飲み会に誘うのではなくランチにしてください」といったカルチャーレッスンを受けることからスタートしました。

植野:P&GもJ&Jもそうだったと思うんですが、ブランド制企業のマーケターは多くの日本企業とは異なり、PL(損益計算書)、つまり売り上げと利益への責任を背負うじゃないですか。事業責任者、あるいはカントリーマネジャーとそれまでのCMOの立場とでは、何が違いましたか?

リュウ:悪いことが最後、自分に全部返ってくるのが事業責任者です。例えば、サプライチェーンが予測できずに欠品が出たら、私がちゃんとサプライチェーンを見れなかった責任。そんな具合に全部を見てやる環境は、嫌いじゃないです。香港のときは、どこが問題なのかを見つけ、そこにリソースを集中できました。
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植野:一点突破により、たった1年で業績をあっという間に伸ばした。その後、日本に帰って投資スタートアップのFOLIOに行きましたね。

リュウ:J&Jでさらに大きな地域のカントリーマネジャーなども狙えましたが、同じことの繰り返しだと不安になりました。「この分野しかやったことがないマーケターでいるのは大丈夫か。違うことを経験しないとキャリアのリスクじゃないか」と思ったんです。

植野:1社で長くじっくりやるほうがリスクが減らせるとは考えなかった。


「シーチャウさんは仕事は戦略で一点突破。自分のキャリアだと分散投資するのが面白い」

リュウ:同じことをやり続けることのほうが、私にとってリスクです。分散がリスクヘッジなのは投資も一緒じゃないですか。「気づいたらこれしかできない人」みたいには絶対なりたくないですから。


植野:香港でリアルビジネスのトップをやられてから、次はトップではないCMOになったのには抵抗がなかったですか?

リュウ:タイトルは気にしませんね。FOLIOはそのとき100人の壁を超えるくらいの規模でした。最初は「資金調達してきたからCMをつくろう」といったフェーズで、そのうち「どんなプロダクトをつくるべきか」が大事だと思い始めました。

植野:プロダクトマーケティングのほうに行った。

リュウ:金融知識は社内に詳しい人がたくさんいました。でも、当時つくろうとしていた商品は「投資をしたことがない20~30代の女性」向けです。ターゲットを理解するため、2~3カ月かけて100人くらいに話を聞きました。すると「投資したことがない人の気持ちはこういうことなんだ」とわかってきます。それを私のプロダクトチームにフィードバックして、デザインやUI/UXをどうしていくかを詰めました。マーケティングからやり始めて、大体いつも途中から違うことをやり出すんですよ。

植野:大企業なら越権行為・領空侵犯。「それはほかの部署がやるんだから勝手なことをするなよ」となりがちですね。最後は副社長になられた。

リュウ:最終的には事業を見ていました。でも、ずっと金融の世界にいたいわけではなかった。FOLIOは違うことを経験して、自分を変えた2年間です。その結果、自分のレンジがとても広くなりました。

それまでお金を稼いで、使い切ることしかしていなかったんですね。でも、自分で株式やスタートアップに投資するようになると、それまで見ないようなニュースを見ます。消費財にいたときは「自分の人生」という1カ所からしか世の中を考えなかったけど、いまはいろんな情報にアンテナを張ることができる。トータルとしてのリターンは驚くほどありました。
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文=神吉弘邦 写真=momoko japan

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