電通デジタルのCXトランスフォーメーション部門で企業のDXを支援・推進する萩原伸悟の話を聞いたとき、モルガン財閥の創始者であるジョン・モルガンの言葉を思い出した。
この言葉のように「遠くの景色」をひたすら目指す萩原は、新卒で入ったメーカーを退職したのちに起業。スタートアップから大手まで幅広い経験を積み、最終的にはコンサルティングを自身の強みとするべく、29歳で電通デジタルに入社した。
「未経験の領域に挑戦するときは、『これができるようになれば、次はあれができるはず』というワクワク感が常に心の中にあります。外見的に、あまりそうは見えないと思うんですけど(笑)」
本人の言葉通り、控えめな性格に見える。良くも悪くも、感情はあまり外に出ないのだろう。
しかし本人の価値観、そして現在に至るまでの道のりを聞くと、萩原は自身の領域を広げながらステップアップしていく醍醐味を誰よりも味わっている一人に思えてならなかった。
高待遇より、「どこでも生きていけるスキル」を選ぶ人生
大人しい雰囲気とは裏腹に、萩原は20代で大胆なキャリアチェンジを繰り返している。
新卒で大手精密機器メーカーに入社し、システムエンジニアや技術営業を担当。1年後には早くも退職し、知人とともにウェブマーケティングの会社を起業した。
萩原には当時から現在に至るまで変わらない、キャリアの軸がある。それは「自分自身の市場価値を上げること」だ。
「平成不況のデフレ下で育ち、就職活動時はリーマンショック直後と、昔から『会社に頼らずに生きていけるスキルを身に付けたい』と強く思っていました。1社目のメーカーは待遇は良かったのですが、自分の知見がどうしても製品知識に偏ってしまうため、『もし会社が潰れて他の会社に入ることになっても同じ報酬はもらえないだろう』と不安を感じていたんです。
知人がIT業界で起業するという話を聞いたのは、そんなときでした。汎用的に活かせるデジタルスキルを得られるのは魅力的でしたし、ちょうどスマートフォンが普及しはじめたタイミングだったので、業界を変えて挑戦する覚悟を決めました」
“この波を逃すまい”と数人ではじめたスマートフォン用のサイト・アプリ開発のビジネスは、予想を超えて市場に受け入れられた。プロダクト開発を担当した萩原は独学でプログラミングを学び、自ら開発作業にあたっていたという。
その後は大手広告代理店を経て、マーケティングツールを扱うスタートアップに入社。プロジェクトマネジャーやプロダクトマネジャー、導入コンサルなどの多様な職種を経て、自身の領域を広げられるだけ広げてきた。
今や、モノを作ることも、ヒトを導くことも、お客様に売ることもできる。
IT業界での経験も重ね、ちょうど30代を迎えようとしていた頃、萩原は「テクノロジーを強みとしたコンサルティング」を軸にキャリアを歩んでいくことを決めた。自分が最も心地良く力を発揮できているのは「お客様を最適解に導く役割」を果たしているときだと気づいたからだ。
数あるコンサルティング会社の中で電通デジタルを選んだのは、ITxマーケティング分野を歩んで来た自身のキャリアとの親和性が高いことに加え、時代に合ったコンサルティングを提供できると考えたからだという。
「これから企業はデジタル化によって常にお客様と接点を持つようになります。すると今まで以上に、『お客様は何を求めているのか』といった切り口での事業変革が求められるようになる。
そんな中、電通グループにはマーケティング起点でお客様のニーズに応えることに強みがあります。今世の中に求められているコンサルティングを提供できるのは、ここだと考えました」
同じことだけやっていては、自分のバリューが陳腐化する
2017年に電通デジタルに入社した萩原は現在、顧客体験のデジタル化に伴うマーケティング戦略やシステム化構想のコンサルティングを手掛けている。
今まで経験した中で特に印象に残っているのは、2年がかりで進めてきた大手メディア企業のDX支援プロジェクト。萩原はプロジェクトマネジャーとしてお客様と相対し、構想から導入、定着化に至るまでのプロセスを先頭に立って進めてきた。
「結構大変でしたね」と、控え目に当時の苦労を振り返る。
「クライアント企業内のデータの洗い出しからはじめ、データを活用したコンテンツ開発や事業開発、マーケティングなど幅広い領域で事業変革を支援させていただきました。分科会を7つほど運営し、多くの人が関わる中での意思決定を進めるのは大変でした」
大量のステークホルダーが存在する中でリーダーシップを発揮するのは、並大抵のことではなかったはずだ。しかもここまで上流のコンサルティングに携わるのは、萩原にとって初めての経験だったという。
それにもかかわらず、重責を全うできたのはなぜか。理由を聞くと、萩原はIT業界での経験を挙げた。
「前職でプロジェクトマネジャーとしてオフショア開発チームと一緒にプロジェクトを進めていたときに、こだわりの強いエンジニアの方とのコミュニケーションにはかなり苦労しました。『あの人はどうすれば動いてくれるんだろう?』と考えて試行錯誤を繰り返してきた経験は役に立っていると思います。今では当時のような悩みを抱えることはないですね」
また、個人的なモチベーションもプロジェクト成功には大きく寄与したはずだという。萩原は少し照れながら、素直な心情を明かしてくれた。
「『このプロジェクトをやり遂げれば自分の価値が上がるはずだ』と信じたことが原動力になりました。確かにチャレンジングな業務ではありましたが、同じことをやっているだけでは自分のバリューが陳腐化してしまいますから」
シンプルな動機は、迷いを遠ざける。そして迷わないビジネスパーソンは、強い。
揺るがぬ軸がもたらす萩原の安定感こそが、困難なプロジェクトを前へと推し進めてきたのだろう。
次は「MBAの取得」。DXの定着のため、さらに自身を磨く
「規模の割にフランクに議論できる社風」が、電通デジタルの魅力的なカルチャーだと、萩原は言う。
社内には経営層や人事に対する提言窓口があり、投稿した内容によっては、面談で意見をしっかりと聞いてくれる。萩原も自身の提言がきっかけで執行役員との面談を行なったこともあるという。
労働時間もしっかりと管理されており、残業は少ない。現在、萩原は業務外の時間でビジネススクールに通い、MBAの取得を目指しているそうだ。
「MBAホルダーの上長に勧められて、自分の幅をさらに広げたいと思い通いはじめました。平日の夜と土日のどちらか丸一日は授業や予復習に当てる必要があるので、もし残業が多い会社だったら絶対に続けらなかったと思います」
今年からグループリーダーとなった萩原は、今はメンバーの労働管理を行なう立場にある。メンバーがあらかじめ定められている労働時間をやむを得ない事情で超えてしまった場合は、次の月にその分の労働時間を減らせるように業務量を調整するなどしてバランスを取っている。
電通デジタル入社後も、キャリアの階段を着々と上ってきた萩原。今後はコンサルタントとして、新たに注力したいことがあるという。
「『DXの定着化』です。せっかく事業変革をしても、お客様の組織やスキルが変わらなければ実装はうまくいきません。お客様に必要な組織体制やメンバー構成まで踏み込んで、自走できる組織に変えていく。そこまでやって初めて本当のDXが実現すると思っています」
電通デジタルでさらに自身の領域を広げてきたからこそ、新たに見えたビジョンなのだろう。
リーダーとしても、自身の理想に近づくために努力を怠るつもりはない。
「成果に対して責任を持つだけではなく、メンバーの成長を支えられるリーダーでありたいです。理想は『サーバントリーダーシップ』。必要なタイミングで後ろからそっとフォローできる、羊飼いのようなリーダーを目指したいですね」
穏やかな羊飼いの心に、次から次へと浮かぶ夢。未だたどり着かない遠くの景色を目指しながら、萩原は日本のITの風景を自分らしく塗り替えていく。