創業直後のトラブル
武井は、新卒の同期と前職での部下の3人で、Crunch Styleの創業に動き出した。しかし、メンバーの一人が創業目前で抜けてしまう。創業資金は3人で均等に出し合う予定だったため、資金も3分の1が欠けてしまった。
残った二人でサービスを開発するにも、二人とも営業の経験しかなかった。サービスのバックエンド開発の担当と、フロントエンド兼デザインの担当をどうするかは、ジャンケンで決めた。「サーバーって何?」というレベルだったが、そこから2カ月で開発に漕ぎ着けた。
一件落着するかのようだが、苦難は重なる。一緒にサービス開発を行った共同創業者も、その4カ月後に体調を崩しCrunch Styleを去ってしまったのだ。創業から半年で、会社は武井一人になった。
しかし、サービスは既に稼働していたため、やめるわけにはいかない。利用者数は伸びず、資金も尽きそうな苦しい状況が続いた。創業2年目のクリスマスイブ、サンタからのプレゼントのように追加の調達資金が着金したが、その時の口座残高は9万円だった。
そこから数カ月後、「自分のために飾る」というコンセプトで事業をピボットし、現在のブルーミーが産声を上げた。
組織の急拡大と崩壊
ブルーミーが動き出すと、サービスの拡大と共に組織も急速に大きくなっていった。当初は、武井以外は全員副業メンバーで5人ほどの規模だったが、1年間で新しい社員を10人採用した。サービスの開発がユーザーのニーズに追いついていない状況で、そこを埋めるために能力ベースで採用を進めていった。
その頃は、「その社員が何をしたいのか」や「会社としてどこを目指しているのか」というものを考える余裕がなく、サービスを拡大させることに必死だった。寄せ集めのメンバーでは、意思決定の度にバラバラの意見が挙がり、何も決まらなかった。衝突に疲弊した人から次々に辞めていき、一時は10人まで増えた社員は、半年後には2人になっていた。
社員のモチベーションも、会社のビジョンもわかっていなかった。「組織崩壊の一番の原因は、その人自身が何をしたくてここにいるのかが明確じゃなかったこと」だと武井は振り返る。
そこで、会社のミッションとバリューを整えた。それに加えて、「組織の性格(Crunch Style Thinks)」という組織の「好き・嫌い」もまとめた。組織として嫌いなことを言語化し、やらないことを明確にしているのだ。やるべきことはミッション等で規定するが、その逆をあえて明文化することで、共通認識を得ることができ、会社の方向性を決めやすくなったという。
現在は、社員本人がやりたいこととCrunch Styleで成し遂げたいこと、つまり、自己成長の軸と会社のミッション軸の二つを重視して採用を行っている。
社員数人の段階から人事担当者を採用したこともあり、順調に25人まで社員が増えた。いまは、社員3名とアルバイトスタッフ2名が人事を担当し、組織開発や人事戦略を強化したことで、毎月800〜900件もの大量の応募が来るまでになった。