父親はドイツへ。オードリー・タンの不登校が招いた「家庭戦争」の終息

提供:唐光華/オードリー・タン

突出した能力を持つギフテッドのオードリー・タンは、主流の教育システムに相いれず、小学二年生で休学を申請する。その選択は、当時の台湾ではとても受け入れられるものではなく、家族を巻き込んだ「家庭戦争」が引き起こされることになった。自殺願望を持つほど追い込まれたオードリーと、我が子を守ろうとする母親。「自分の子どもはきっとこの試練を乗り越えられる」と信じて疑わない父親や、「孫はどうしてこんなに口ごたえするようになってしまったのか」とうろたえる義父母。家族がそれを乗り越えるターニングポイントとなったのは、母親の「私は子どもにどうなってほしいのか」という自問だった。

前編:オードリー・タンの母親が語った、ギフテッドの子供と「学校恐怖症」

打つ手なしに見えた「家庭戦争」


母親はこう記している。

「その期間の私は、母親である以外、自分が人の妻であること、義理の娘であることを完全に忘れていた」

異なる環境や文化で育った二人が、子どもの教育という正解のない問題にぶつかった時、そして子どもの生命が危機にさらされている時、私たちはどうしたら良いのだろうか。こんな打つ手なしに見える状況を切り抜け、後に台湾の教育改革を行った母親の行動力には驚くばかりだ。

オードリーは、当時を振り返ってこう話してくれた。

「当時の教師は、『レジリエンスを育てなければならない』と言いました。悪い状況になっても、自らで克服する力のことです。また、台湾には『苦労を糧にする』ということわざもあります。ですが、耐性をつけるために我慢することと、その苦しみの奴隷になることは、非常に区別が付けづらいのです。『学習性無力感』といって、何もできることがないのだという感覚を一度抱いてしまうと、いざ世界の不公平なことを変えられるチャンスが訪れても、籠に長い間閉じ込められた鳥が飛び立てなくなってしまうように、何もできなくなってしまう。

この時の私は、その極限を超えていました。筋肉を鍛えすぎると怪我をして、靭帯や骨を損傷すると一生回復するのが難しくなるように、当時の学校の状況は、私の極限を超えていたのです」
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文=近藤弥生子

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