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2021.12.02

ビッグデータ解析の真打ち登場! 研究者が起業したデータブリックス


1984年にイラン・イラク戦争が4年目に入るなか、イランの上流階級に属していたゴディシの一家はスウェーデンに逃れた。5歳だったゴディシにとって、祖国の記憶といえば爆撃とサイレンの音の連続だ。

一家は学生寮を転々としつつ、ストックホルムの怪しげな地区からまた別の怪しげな地区へと引っ越した。ゴディシは絶えず学校を移り、新しい友達を作らねばならなかった。このときの経験のおかげで、人付き合いが得意な今の自分があるとゴディシは語る。彼がエンジニアリングの才能を発揮し始めたのも、幼少の時だった。彼の両親は、中古の「コモドール64」を格安で手に入れてくれた。小学4年生だったゴディシは、独学でプログラミングを学んだ。

ミッドスウェーデン大学でコンピュータ工学と経営管理の修士号を取得した彼は、王立工科大学(KTH)に進み、06年にコンピュータ科学の博士号を取得。30歳だった09年にカリフォルニア大学の客員研究員として渡米し、そこでシリコンバレーを垣間見た。当時、フェイスブックは創業5年目で、ウーバーも創業した直後だった。

バークレーで彼は当時24歳で博士課程の学生だった前出のザハリアと組み、アパッチ・スパークを開発した。大手がニューラルネットワークを使ってやっていたことを、彼らは複雑なインターフェイス抜きで再現し、そのコードを無料で公開した。

その後、彼らはザハリアの論文指導教官だったスコット・シェンカーと、イオン・ストイカらの助言を受けて合計7人のメンバーで13年にデータブリックスを創業。ストイカは動画配信企業コンビーバの幹部で、シェンカーはネットワーク構築企業ニシラの初代CEOを務めていた。データブリックスではストイカがCEOに、ザハリアがCTOに就任し、シェンカーは取締役会の一員となった。

ニシラの初期投資家だったホロウィッツとのミーティングを、シェンカーが設定した。ゴディシらは本心ではこの面談に乗り気ではなかった。「ホロウィッツは研究者ではないので、彼から出資を受けたくないと思っていた」と、彼は振り返る。

「とりあえず数十万ドル程度を調達し、1年間プログラミングに取り組んでみて、何ができるか見てみよう、と考えたのです」

するとホロウィッツが面談で、「評価額5000万ドルで1400万ドルを出資する。のるかそるか、二つに一つだ」と、単刀直入に切り出した。あまりにも魅力的で断れない話だった。当のホロウィッツはその理由について次のように説明する。

「データブリックスのようなアイデアには、有効期限があります。大半の起業家の場合、シード資金から始めるのが正しいやり方ですが、彼らの場合は別でした」

データブリックスはその後、コンビーバの筆頭株主であるNEAのソンシーニを2社目のベンチャー投資家として引き入れた。14年当時、売り上げがまだないデータブリックスにNEAは3300万ドルを出資し、その際の評価額を2億5000万ドルに引き上げた。創業からわずか13カ月後のことだった。
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文=ケンリック・カイ 写真=ティモシー・アーチボルド 翻訳=木村理恵 編集=上田裕資

この記事は 「Forbes JAPAN No.077 2021年1月号(2020/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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