ウェブメディア『grape』では、2020年5~8月、エッセイコンテスト『grape Award 2020』を開催。その応募作品の中から、「タカラレーベン賞」に選ばれた『心を拾ってくれたタクシー』(作者:飯沼綾)を同メディアより転載して紹介する。
タクシー運転手という職業をとても尊敬している。
見ず知らずの人を車に乗せて、時には横柄な態度を取られ、理不尽な怒りをぶつけられることもあるだろうに、24時間いつでもしっかりと目的地へと連れて行ってくれる。
東京で働いていた時は、激務ということもありほぼ毎日タクシーに乗っていた。私が新人の頃は、深夜に半泣きで帰路につく私を、運転手さんがよく励ましてくれていた。その時間が私はとても好きだった。中でも、忘れられない運転手さんがいる。
疲れた。寒い。限界だった
数年前の年末のこと。仕事でひとつの大きな案件を終えた夜だった。私は、ほぼ2徹状態での肉体労働を終え、身も心も満身創痍、一刻も早く家に帰って暖かい布団に滑り込みたい、その一心だった。
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日付が変わった頃に会社を出て、今にも崩れ落ちそうな肢体を家まで運んでくれるタクシーを探した。しかし、走るタクシーは数多居れど、ことごとく「賃走」。
通り過ぎる全てのタクシーが乗車済みだった。よく見ると、路傍に私と同じようにタクシーを探す「タクシー難民」たちで溢れている。
世は師走。忘年会シーズン真っ盛りの金曜日だった。居酒屋も立ち並ぶビジネス街に会社があったため、忘年会を終えた人たちがタクシーで帰ろうと溢れかえっていた。
その時の私は、まだ余裕があった。これだけタクシーが走っているんだから、少し歩いて繁華街を離れれば1台くらい「空車」のタクシーがあるだろうと思っていた。
しかし、1時間さまよい歩いても、1台も「空車」がない。空車を見つけても、すぐさま別のタクシー難民に乗られてしまう。
疲れた。寒い。疲れた。寒い。体も、気持ちも、限界だった。私はこんな時間まで働いて、疲れきって、こんなにもタクシーを必要としているのに、楽しそうな酔っ払いたちがタクシーに乗っている。
道端でタクシーがいないと騒いでいる人も、ほろ酔いだから、その状況さえも楽しんでいるかのように声を弾ませている。感じたことのないくらい、殺伐とした気持ちだった。すれ違う酔っ払いたちが憎くて憎くて仕方がなかった。
もう一歩も歩けなくなってしまった。私はガードレールにもたれかかって、ただ、立ち尽くしてしまった。ついに涙も決壊した。
甘い甘い、小さな箱
その時、1台のタクシーが私の目の前に停車した。表示は「回送」。ドアが開き、優しそうなおじさんの声が中から聞こえる。
「タクシー、ないんでしょ。回送だけど、いいよ。乗りな。」
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車内はとても暖かかった。冷えた体も、気持ちも、じんわりと溶けていくようだった。安堵からはらはらと涙を流す私に、運転手さんはただただ優しい言葉をかけてくれる。
「僕もね、今日は酔ったお客さんばかりで疲れてたけど、最後に君みたいな頑張ってる子を乗せられて、嬉しいよ。」
涙が余計に溢れ出て止まらなかった。
家に到着して、厚くお礼を言って降りようとした時。運転手さんが私を引き止めた。
「これ、よかったらもらって。買ったけど、結局食べなかったから。お疲れ様。」
渡されたのは、1箱のチョコレートだった。口の中に入れたチョコレートはとても甘く、疲れた体に染み渡っていった。
運転手さんにとっては、どれも些細なサービスだったのかもしれない。それでもこんなにも救われる気持ちがある。世界は小さな優しさたちでできているんだと、実感した夜だった。
いつか私の行為も誰かの心を拾うときがあるかもしれない。あの運転手さんのように、柔らかい気持ちを持っていたいと、今も思っている。