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2021.12.08 08:00

空室率60%からの起死回生。築43年「上井草グリーンハイツ」の奇跡


外観だけでは判断できない、上井草グリーンハイツの価値


臼井はまず、渡邉に対してオープンにヒアリングを開始した。それは建物を活かすためのファーストステップであった。ヒアリングといえば聞こえはいいが、プロジェクトをまとめていくには相応の時間がかかり、時には面倒なプロセスでもある。地道に会話を重ね、耐震面を考慮し、外壁に揺れを吸収するために必要な「スリット」を入れ、断熱材を入れて目隠しすることや、1階の北側2部屋を「キッズ・ルーム」と「ミーティング・ルーム」にすることが決まっていった。

同時に臼井は、上井草グリーンハイツは建ぺい率が36.86%と、敷地に対して相当な余裕があり住環境が極めて良い点、建物内部においても味わいがある古いタイルが使われている点など、外観だけでは判断できない価値も見出していた(竣工当時の建ぺい率は最大52.89%、現在の基準だと約62%である)。

そして、人のいない薄暗い中庭のイメージを一新するため、ウッドデッキを用いることを決めた。それにより、緑の多いこのマンションの良さを最大限に高めることができ、結果、ウッドデッキを介して1階の居室やキッズ・ルームが中庭の緑と有機的に結びつくこととなった。

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再生リノベーション後の中庭。ウッドデッキになっている。 写真提供:阿野太一

上井草の歴史に見る「空室率悪化のワケ」


ここで時代的な背景を振り返っておこう。上井草一帯は大正12(1923)年の関東大震災後に東京郊外の都市化が始まるまでは農村地帯だった。上井草を含む井荻町(当時)一帯では、大正末期から昭和初期にかけて土地区画整理事業が推進され、現代に引き継がれる「碁盤の目」状の町が形成されていった。

プロ野球創世期には、東京セネタースが上井草球場(現在の上井草スポーツセンター)を本拠地としており、平成14(2002)年には、早稲田大学ラグビー部の合宿所が東伏見から上井草へと移転してきた。また「機動戦士ガンダム」「ケロロ軍曹」「ラブライブ!」などの制作で知られるアニメ制作会社「サンライズ」が駅そばにあり、特にガンダムは商店街のキャラクターに採用され、町のシンボルになっている。

昭和53(1978)年の竣工当時、上井草グリーンハイツは多くの公団住宅同様、居室のすべてが「振り分け式3DK」に設計された特徴のない賃貸マンションだった。入居者のほとんどは子育て世帯。家族構成も就労形態も似たり寄ったりで、時代の移り変わりとともに入居者は入れ替わるものの、物件の経年劣化に従って空室率が少しずつ悪化していったのだった。
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文=曽根康司 編集=石井節子

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