典型例がほかならぬ日本である。1980年代の「バブル経済」以降、日本は傷ついた経済に財政刺激策として何兆ドルも投じた。日本銀行は金融緩和をだんだん拡大し、金利も債券の利回りもマイナスに押し下げた。日銀は、上場投資信託(ETF)を通じて債券や株式を買い込んだ。現在、日銀のバランスシートは、500兆円超の日本の国内総生産(GDP)を上回る規模に膨らんでいる。
それでいて、日本が実際に成長した場合も、その成長に企業に賃上げを促すほどの力強さはない。日銀は、2%の物価上昇率目標を何年にもわたって追求しているが、成果はほとんどあがっていない。
なぜか。ひとつには、資本主義世界でかつてないほど寛大で当てになる「企業福祉」が提供され続けているため、企業のトップたちには変革に向けたインセンティブがはたらかないからだ。また、こうした手厚い企業保護があると、政治家たちにも、2025年ではなく1985年に適合した成長モデルを根底から変えるという重い仕事をするインセンティブがはたらかない。それをやれば既得権益層の強い反発を買いかねず、従順な中銀を頼りにできるのならあえて手を付けようとはしないだろう。
20年以上にわたって日銀と財務省が円安に誘導してきたことで、経済を再調整する緊急性も薄れた。企業の幹部たちは構造改革や新製品の創出、競争力の向上といった重荷から解放された。ただで借りられるお金がじゃぶじゃぶある状況が何年も続くと、集団的な依存状態が生まれ、それを克服するのは非常に難しい。
コロナ危機で閉ざされていた経済の再開が進む米国で、連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長が直面している困難に目を向けるだけでも十分だろう。政策当局者たちはみな、リーマンショックのような事態を再び起こしたとして責任を問われたくはないのだ。
パウエルがブレーキを早くかけすぎると、債券の利回りは急上昇し、株価は急落する。そうなれば彼は、1980年代末から90年代初めに日銀総裁を務めた三重野康と同じように、経済を破壊したセントラルバンカーという不名誉な評価を受けることになるだろう。
ここで軽視されがちなのは、政府が責任を放棄してそれを中央銀行に任せたという点である。1990年代半ば、政治家は低インフレで地政学的に平和な世界では、成長の微調整をするにはセントラルバンカーのほうが望ましい立場にあり、自分たちはほかのことに専念したほうが得策だと気づいた。
こうした経済運営のアウトソーシングは、ウォール街の混乱が世界に波及した2008年に確立した。そうしてゼロ金利が世界を救った。