ラグジュアリーの本質と「心を磨く体験」


「ラグジュアリー」の本質


生口島には瀬戸田港から耕三寺まで600mほど続く「しおまち商店街」がある。

この商店街の岡哲商店というお肉屋さんのコロッケが美味しい。1つ90円で、注文のあとで揚げてくれる。おばあちゃんに「すぐ食べるん? 持って帰るん?」と尋ねられ、すぐ食べますと答えたら、ペーパータオルで巻かれた熱々のコロッケを「はい」と手渡された。続いて創業約100年の茶谷屋酒店で「産地の恵み 瀬戸田レモン」という瓶の酎ハイを購入し、港を目指した。

僕は防波堤に座り、尾道行きの船の発するポンポンという音色を聞きながら、コロッケをかじり、酎ハイを飲んだ。海の向こうに夕陽が沈みゆき、穏やかな風が吹き過ぎる。通りすがりの年配の女性が「こんにちはー」と笑顔で声をかけてくれる。それは本当に幸せな時間だった。

人間のつくりあげる芸術は素晴らしい。だが、それらはあらかじめ与えられる情報によって価値を高めている部分がある。作者は誰か、価格はいくらか、作品の価値はこの数年でどれくらい上がっているか......。自然はそうではない。心地よい風が吹いたら素直に「風が気持ちいい」と感じるし、圧倒的な夕陽を目にしたらその美しさに呆然と立ち尽くす。自然がつくり上げる美、人間を感動させる時間というのは、何物にも代えがたい。

僕の京都の家も、初夏になると無数の蛍が庭に飛ぶ。今年の6月も庭の中央にかかる橋に腰かけ、片手にウイスキー、もう片方の手で蛍をそっと捕まえて、ほのかな光の点滅を眺めた。プライスレスという言葉があるが、まさにお金で買えるものではない、尊い時間だった。

Azumi Setodaの価値も同じことだろう。町に突然、高級旅館ができたところで、普通は住人には関係がない。しかし同時にyubuneという銭湯をオープンすることで、住人の方々が宿泊客に気さくに話しかけられる環境を築いた。旅館という閉ざされた空間にラグジュアリーをつくるのではなく、建物を核にして町にラグジュアリーな空間──言わば「心を磨く体験」を点在させたのだ。禅語には「洗心」という言葉がある。心の塵を洗い落とすという意味らしい。まさに洗心はラグジュアリーの本質そのものなのではないだろうか。

今月の一皿




米焼酎「しろ」とウィルキンソン炭酸でつくる「レモンサワー」。搾ったレモンでグラスの縁を一周させると風味がよい。

blank




都内某所、50人限定の会員制ビストロ「blank」。筆者にとっては「緩いジェントルマンズクラブ」のような、気が置けない仲間と集まる秘密基地。


小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わり、2025年大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務める。

写真=金 洋秀

この記事は 「Forbes JAPAN No.086 2021年10月号(2021/8/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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