「忘れられた英雄」コロナワクチン開発者の苦闘

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熾烈な法廷闘争が──


マッデンが解雇された理由のひとつに、イネックス社とプロティバ社が、薬物送達システムの研究開発を、それぞれ別々にアルナイラム社と共同で進めていたことが原因で起きた泥沼の法廷闘争があった。

裁判は何年も続いた。訴訟のたびにマレーとマクラクランは、マッデンとカリスにアイディアを盗まれたと非難した。気分を害したマッデンとカリスはその非難を否定し、何度かマレーとマクラクランのほうこそ不正を働いたとして反訴した。

訴訟の第1ラウンドは2008年に和解が成立し、プロティバ社はテクミラ社を買収した。マレーがCEO、マクラクランが主任研究員の座に就き、ほどなくマッデンは解雇された。裁判で痛手は負ったが、マッデンとカリスは2009年に新会社を設立し、アルナイラム社との業務提携は続行した。

それに対してテクミラ社は、マサチューセッツのバイオ企業アルナイラムがマッデンとカリスと共謀し、マクラクランが開発した送達システムの所有権を安価で手に入れたとして、アルナイラム社を訴えた。アルナイラム社は不正行為を否定し、当然ながら反訴して、送達システムの4種類の脂質のうち1種類を改良したマッデンとカリスと仕事をしたかっただけだと主張した。

訴訟は2012年に和解し、アルナイラム社がテクミラ社に6500万ドルを支払い、数十件の特許権をテクミラ社に譲渡することで合意に至った。マッデンがオンパットロ用に開発した改良版脂質の特許権もそこに含まれていた。この取り決めにより、カリスとマッデンの新会社はmRNA製品を一から作ろうとしても、マクラクランの送達システムはわずかな部分しか使えないことになった。

敗北感を覚え、マクラクランはテクミラ社を退職した。持ち株を売却し、中古のキャンピングカーを6万ドルで購入し、妻子と愛犬を連れて5200マイルのドライブ旅行に出た。「私は疲れ果て、やる気をなくしていた」

カリコ博士の先見の明、2006年にマクラクランに手紙を出していた


ハンガリー出身の生化学者カタリン・カリコが初めてマクラクランを訪ねたのは、こうした熾烈な法廷闘争が繰り広げられている最中だった。カリコは以前から、マクラクランの送達システムがmRNA治療の可能性を解き明かす鍵を握っていると考えていた。

早くも2006年にはマクラクランに手紙を出し、自分が化学変化させた画期的なmRNAを彼の開発した4種類の脂質を用いる送達システムで封入してみたらどうかと勧めていた。裁判沙汰に巻き込まれていたので、マクラクランはカリコの申し出を退けた。

しかし、カリコは粘り強かった。2013年、飛行機に乗ってテクミラ社の幹部たちに会いに行き、マクラクランの直属の部下として仕事ができるならバンクーバーに引っ越してもいいと提案した。テクミラ社はその申し出を断った。「モデルナからも、ビオンテックからも、キュアバックからも仕事のオファーはあったけれど、第1志望のテクミラからは声がかからなかった」というカリコは結局、2013年にビオンテック社に就職した。

その頃、モデルナ社CEOステファン・バンセルも送達システムの難題を解決しようとしていた。バンセルはテクミラ社と提携について話し合ったが、協議は一向に進展しなかった。テクミラ側は契約締結の条件として、最低1億ドルの前金とロイヤルティーを提示した。

結局モデルナ社はテクミラ社ではなくマッデンと手を結んだ。マッデンは薬物送達システム技術を扱う会社、アクイタス・セラピューティクス社でカリスとまだ一緒に仕事をしていた。
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翻訳・編集=小林さゆり/S.K.Y.パブリッシング/石井節子

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