「忘れられた英雄」コロナワクチン開発者の苦闘

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ノーベル賞有力候補者だったカリコ博士も──


マクラクランを無視する者ばかりではない。「LNP〔脂質ナノ粒子〕についてはイアン・マクラクランの功績が大きい」とカタリン・カリコは言う。2013年にビオンテック社に入るまでに、mRNA治療法の土台を築き、2021年10月のノーベル賞最有力候補者でもあった科学者だ。しかしカリコはマクラクランに苦言を呈してもいる。数年前、mRNA関連の自社設立に動いた際、送達システムの利用にマクラクランが協力的でなかったからだ。「〔マクラクランは〕偉大な研究者かもしれないが、先見の明がない」


注目の生化学者:カタリン・カリコの研究はmRNAワクチンの開発に不可欠だった。2021年10月、ノーベル賞の58番目の女性受賞者になるのではないかと期待された。日本でもポプラ新書から書籍が刊行されている。

7年前、マクラクランはテクミラ社を辞職し、輝かしい発見と経済的見返りの可能性に背を向けた。送達システムをめぐる泥沼の法廷闘争やバイオ医薬品業界内の政治的駆け引きに疲れたのだ。マクラクランの心境は複雑である。チャンスを逃したのかもしれないが、世界を救う手助けをしたという思いもある。

「チームのメンバーはこの技術の開発に心血を注いだ。研究に身も心も捧げた」とマクラクランは言う。「あくせく働き、骨身を削って研究に没頭した」

ホーエン・テュービンゲン城はドイツのテュービンゲンの町を見下ろす丘の上に建っている。2013年10月、当時テクミラ社の主任研究員だったマクラクランは第1回国際mRNA医療学会のカクテルパーティーに出席するため、重い足取りで坂道を上り、城に向かっていた。パーティの席で、マクラクランはモデルナ・セラピューティクス社というmRNA関連の新興企業のCEOステファン・バンセルに話しかけた。そして、テクミラ社とモデルナ社が業務提携し、自分の開発した薬物送達システムを利用しないかと持ちかけた。バンセルの返事はこうだった。「おたくは高すぎるよ」


正当な報酬:モデルナ社CEOステファン・バンセルはワクチンによって4月に億万長者になった。同社の時価総額は現在、ゼネラルモーターズ社やボーイング社の時価総額を越えており、バンセルの個人資産は約112億ドルとされる。(Getty Images)

このやりとりから、マクラクランは嫌な印象を受けた。5年前にテクミラ社を解雇された元同僚のトーマス・マッデンの存在も気にかかった。この時点でマクラクランは送達システムの開発に10年以上携わっていたが、バンセルのような人々はロンドン生まれのマッデンと手を組むほうに興味を持っているようだった。
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翻訳・編集=小林さゆり/S.K.Y.パブリッシング/石井節子

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