中華料理店の変遷、「東京ディープチャイナ」を支えるオーナーたち

日本では珍しい雲南料理店「日興苑 食彩雲南」のオーナー、牟明輝(む・めいき)さんは遼寧省の大連出身で2000年代前半に来日。隣は共同経営者兼料理長の張永富(ちょう・えいふ)さん


コロナ禍での出店意欲はどこに由来


筆者がこれら世代の異なるオーナーたちの出自や特徴について関心を持つきっかけは、30年以上前に遡る。大学時代、都市コミュニティ論のゼミに所属し、フィールド調査の場で来日したばかりの彼らをはじめとしたアジア系ニューカマーたちと知り合っていたからだ。1980年代半ば頃の話だ。

当時、来日したばかりの彼らの顔つきを見ても、いったい何を考えているのかよくわからないことが多かった。当時、われわれとは互いに異なる時代を生きていたからだろう。すなわち、バブル経済に向かって沸く日本社会の住人と、文化大革命で極度に疲弊して、ようやく改革開放の時代が動き出したばかりの中国社会からすべてを投げうって来日した彼らとは大きな差異があった。

その後、筆者は彼らとは縁が途切れることなく、穏やかなつきあいが続いたが、彼らの人生は多くの辛苦を乗り越え、着実に実を結んでいく。そのひとつの結果が、今日、活況を呈する「東京ディープチャイナ」といっていいだろう。

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新感覚の火鍋屋チェーン「賢合庄」のオーナー、孫芳さんは河南省出身で2000年代前半の来日

それにしても、彼らはこのコロナ禍にあって、どうしてこれほど旺盛な出店を続けることができるのだろうか。

実を言えば、コロナ禍が彼らにとって追い風になっている面もある。もちろん、閉店に追い込まれたケースは散見されるが、逆に空き店舗が増えたことで「いまなら通常よりも安い家賃で借りられる」と、即入店を決め、店をオープンする中国系オーナーが増えている。

最近、新規出店したオーナーたちに話を聞くと、共通するのは「ピンチはチャンス」という言葉だ。このメンタルの強靭さと逆転の発想の背景には、彼らの旺盛な投資意欲もあるにはちがいない。

だが、彼らは30数年前と同様にわれわれと同じ時代を生きているわけではないのだと考えたら、それも理解できなくはない。彼らは、日本にいながら、中国社会と同じポジティブな時代認識と発想に沿って物事を判断しているのである。あるいは、ふたつの時代を同時に生きてきたといってもいい。海外に生きる人間とは、国籍に関わらず、そういう面があるだろう。

また、よくよく話を聞いていると、2010年代の観光バブルの時代に多くのオーナーたちが、飲食業に限らず、インバウンドビジネスなどを通じて資産形成したことも、コロナ禍においてなお投資意欲が尽きないことと関係ありそうだ。

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高田馬場の湖南料理店「湘遇TOKYO」のオーナー、李小軒さんは湖南省出身の34歳で2010年代前半に来日

彼らのこうした事情に照らして考えれば、さまざまな疑問が解けてくるのではないだろうか。

そんな時代の趨勢と彼らの逞しさや商魂に、懸念や反発をおぼえる人もいるかもしれない。30数年前の彼らの姿を知る筆者も、今日、自分の住む東京で、これほど精力的な彼らの姿を見せられるにつけ、もちろん複雑な思いはないではない。だが、筆者は彼らを理解するひとつの見方として、いつもこんな風に考えている。

中国にはふたつの顔がある。ひとつは権威主義の顔である。今日の香港の姿をみれば説明の必要はないだろう。もうひとつは、権威主義の底側から反作用のように生まれる草の根の顔である。「東京ディープチャイナ」は、すべてがそうだとはいわないが、その草の根の顔の現れだと思う。

いま筆者は取材で彼らの店を訪ねるとき、学生時代のフィールド調査のことを思い起こすことがある。彼らと話していると、当時と変わらないことがあるのに苦笑もするが、この30年で起きてきたことの時代的な意味を否が応でも考えさせられてしまう。

連載:東京ディープチャイナ
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文=中村正人 写真=東京ディープチャイナ研究会

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