中華料理店の変遷、「東京ディープチャイナ」を支えるオーナーたち

日本では珍しい雲南料理店「日興苑 食彩雲南」のオーナー、牟明輝(む・めいき)さんは遼寧省の大連出身で2000年代前半に来日。隣は共同経営者兼料理長の張永富(ちょう・えいふ)さん

本コラムでは、都内に急増している中国語圏出身の人たちが提供する本場の料理とそれらを取り巻くさまざまな現象を「東京ディープチャイナ」と呼び、その現状をレポートしてきた。

今回は、いま東京でこれらのことが起きている時代的な意味について考えてみたい。数年前から、にわかに顕在化してきた「東京ディープチャイナ」の全体像を理解するために。

中国出身の第三世代が経営を支える


まず現在の「東京ディープチャイナ」が現れるまでの歴史的経緯から考えてみたい。それは日本にやってきた中国語圏の人たちの複数世代によって支えられているが、その源流は第一世代に遡る。

第一世代は、1980年代後半に出国が始まった「新華僑」と呼ばれる、現在50代から60代の中国出身の人たちだ。日本では在住人口が多い遼寧省や吉林省、黒龍江省といった東北三省や南方の福建省の出身者が多い。

もともと東北三省出身の人たちは、中国国内でも上海などの経済先進地に出稼ぎに出たり、飲食業に就く人が多かったりする。戦前の日本との歴史的な縁から来日するケースも多い。また「華僑のふるさと」といわれる福建省出身者が多いのもうなずけることだ。

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中国東北料理店「味坊」のオーナー、梁宝璋(りょう・ほうしょう)さんは黒龍江省出身で1990年代の来日

第一世代は、いまでもいちばん数が多いが、このところ話題となる中華料理店を出しているのは、むしろ2000年代や2010年代の来日組、すなわち現在40代や30代の第二、第三の世代が目立つ。

これまで日本になかった珍しい地方料理の店や新種のサービスが生まれているのは、中国経済の発展にともない成長した彼らの、それぞれ進取の気性を持った出身地もタイプも異なるオーナーたちが現れたことによるものだ。

筆者は2000年代に上海で日本の外食チェーンの出店動向について取材したことがある。当時すでに30年の経営ノウハウを持つサイゼリヤやココイチなど、日本の大手外食チェーンは、2010年の上海万博開幕に合わせて現地での店舗展開を進めていた。彼らは急ピッチで進んでいた地下鉄路線の新駅とその周辺に生まれる高層マンション群というわかりやすい場所を新規出店地として選んでいた。

いま東京では、形としてはその逆の流れが起きているわけだが、出店事情はずいぶん違っている。上海という中国の料理では珍しい甘口の味つけが好まれる土地柄であるがゆえに、2000年代に進出した日本食のチェーンは彼の地で受け入れられた。

しかし、近年の中国からの進出は、中国全土に定着した四川料理に代表されるパンチの効いた味つけが多い。これは日本人の口に必ずしも合うものではないので、2000年代の上海とは異なる事情がある。

いま東京で新しい中国の料理店が増えているのは、首都圏在住の中国の人たち、特に若い世代の人たちが顧客の中心となって店を支えているからだ。しかも、彼らは顧客としてだけではなく、これら中国の外食チェーンで各店の経営を任されたりしている。

前述の第三世代にあたる日本留学組が多いのだが、彼らは同年代の日本人と交流があり、また古い世代に比べて自国の発展に自信を持っている。顧客としてももちろん、経営側にも日本社会を理解する世代が増加したことが「東京ディープチャイナ」の原動力になっている。
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文=中村正人 写真=東京ディープチャイナ研究会

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