「支援を望まない人」もいる。若者が着ぐるみ姿で街頭に立つ理由

名古屋駅前で声かけをする。メンバーには高校生、大学生、社会人もいる


「課題の解決を主な目的としていないので、成果も見えにくいし、理解されにくい活動だと思います。でも、結局は人権の話なんです。そういうと堅苦しいですけど」

日本では昭和22(1947)年の児童福祉法の制定時以来ずっと、子どもは「保護される客体」と位置づけられてきた。それが平成28(2016)年の法改正によって、ようやく「子どもは権利の主体である」とされた。子どもは護られるだけの存在から、人権を有する一人の人間であると法律で認められたのだ。

その影響もあり、最近では子どものアドボカシー(子どもの意見表明権を保障するための取り組み)も活発に議論され始め、荒井さんや若者たちが講演に呼ばれることも増えている。



かつて専門家から相手にされなかった荒井さんたちの活動は、少しずつ社会の共感を得てきている。世の中が全国こども福祉センターの活動に追いついてきたと言ってもいい。そこには10年間、毎週街頭に立ち、声をかけ、活動をつないできた子ども・若者の存在があることを忘れてはならない。

「楽しさ」を軽んじてはならない


私も、せっかくなので着ぐるみを着て一緒に声を出してみた。緊張もしたが、ちょっと楽しい。一緒になった10代の女性は、かつて自分が声をかけられた側だったと教えてくれた。

「何度か街頭で話すうちに、楽しいなって思って。家にいてもおもしろくないし、こっちに参加した方がおもしろいかなって」

福祉の枠にはめられたり、支援される存在になってしまうことがしんどい子たちもいる。「楽しい」や「居心地がいい」という感覚を軽んじてはならないと思う。

きらびやかな繁華街への道を流れる人たちを見ながら、この地続きの関係性の大切さを、改めて噛みしめた。



【連載】共に、生きる──社会的養護の窓から見る
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文=矢嶋桃子

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