キャリア・教育

2022.03.05 17:00

外科医、救急医を経て小笠原に。彼が「離島診療所」を選んだ理由


──なぜ地域医療に興味が出てきたのですか?

例えば、末期がんの患者さんが間もなく息を引き取るタイミングで、ご家族が心配になって119番してしまい搬送されてくる例は少なくありませんでした。また、普段の生活や体調管理を気をつけていれば、救急搬送されるほど症状が悪化するのを避けられたはずの患者さんもたくさん診てきました。



小笠原村父島(I love Photo and Apple./Getty Images)

このような患者さんを診るたびに、地域に、安心して受診できるかかりつけ医がいることや、かかりつけ医とコミュニケーションをしっかり取れる関係性を築いておくことの重要性を痛感するようになっていったのです。そういったことは救急医療ではなく地域医療の枠組みの中で行われることで、その部分に興味を持つようになったのです。

このように考えるようになっていた頃「小笠原村診療所の医師に欠員が生じます。働きませんか?」と村役場の方から連絡をもらうようになっていました。そして徐々に、セカンドキャリアとして離島での地域医療に従事することを具体的に思い描けるようになり、小笠原村診療所への赴任を決意しました。

戸惑いながらも経験積んだ離島診療所医師の今後


──ご家族は一緒に移住されたのですか?

そうです。子どもの教育環境を懸念して、僻地医療に踏み出すのを躊躇される方もいるかもしれませんが、私は自然豊かな環境から得られることもたくさんあると思っているので、迷うことなく家族揃っての移住を決めました。

──救急医から離島診療所の医師への転身だったので、戸惑うことも多かったのではないですか?

はい、自分の知らないことがあまりにも多いことに、最初は戸惑いましたね。先程お話ししたように、島の患者さんが本土の専門医療機関にかかるのには、相当な負担があります。ですから、眼科や皮膚科といったマイナー科だけど受診頻度が高い診療科については、患者さんが専門の先生に診てもらわないと心配だという状況を回避するような診療をしなければなりません。

頭では分かっていましたし、そのつもりで勉強していましたし、着任後にも勉強しなければいけないことも想定していたのですが──やはり知らないことというのは、知らないからこそ全体像を想像できず、新たな知識を得るほどに「あれも足りなかった。これも足りなかった」と、次々と勉強しなければならないことが出てきました。

それこそ最初の頃は、診察室に来た患者さんに「専門の先生に相談しますのでお待ちください」と一度帰ってもらい、連携医療機関にコンサルトし、その結果を説明するということも頻繁にありましたね。

でも1〜2年もすると、経験を積んで対応できるようになったことも増えていきました。現在は着任当初のような苦労はずいぶん減ってきていると思います。

──今後の展望はどのように描いていますか?

しばらくは当診療所での勤務を続けると思います。ただ5年後、10年後に自分がどのような道を歩んでいるかは分かりません。20年前の自分は、今の自分がまさか離島診療所の所長をしているなんて、夢にも思っていなかったですから。私は先々のことを考えるよりも、今の自分がどうありたいのかを大切にしながら、この先も歩んでいきたいですね。

亀崎 真◎小笠原村診療所所長。熊本県出身。1997年、熊本大学医学部を卒業後、同大学病院外科に入局。関連病院にて研鑽を積む。2003年、都立駒込病院外科研修プログラムを修了、都立墨東病院救命救急センターにて救急医としてのキャリアをスタート。2015年、小笠原村診療所に着任、現在に至る。

*本稿は、医師たちに医療情報や医師の診療以外の活動を聞くウェブマガジン「coFFee doctors」からの転載である。

取材・文=coFFee doctors編集部

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