外科医、救急医を経て小笠原に。彼が「離島診療所」を選んだ理由

東京都小笠原村父島「小笠原村診療所」所長 亀崎真氏


──現在、導入を検討している治療などはありますか?

可能性として考えるもののひとつには、慢性腎不全に対しての透析療法があります。現在、父島ではこの治療法は一切できません。血液透析はすぐにはできないかもしれませんが、腹膜透析からなら始められるかもしれません。今後の患者数の推移も考慮しながら、必要があれば対応していくつもりです。

外科から救急、そして離島医療へ


──小笠原村診療所に着任する前は、救急医として都立墨東病院救命救急センターに勤務されていたそうですね。これまで、医師としてどのようなキャリアを歩んでこられたのですか?

私は熊本県天草市の出身で、1997年に熊本大学医学部を卒業しました。大学卒業後に選んだ診療科は外科。大学病院の関連病院を回って外科のトレーニングを積んでいました。

そんな中、先輩が「地方だけではなく、東京や大阪のような大都市にも行ってトレーニングを積んだ方がいいのでは」とアドバイスをくれたのです。当時は、後期研修プログラムのようなものをつくる市中病院が次第に増え始めていた頃でした。そこで私は、熊本大学の外科医局に在籍したまま3年間、都立駒込病院の外科研修を受けることにしたのです。

もともと研修を終えたら熊本に戻るつもりだったのですが、研修が終わりに近づいてきた頃、自分自身のキャリアに悩むようになっていました。というのも当初の予定通り熊本の医局に戻ったら、自分の中では臓器を絞って専門性を高めていくというイメージだったのですが、当時の私は、臓器を絞ったスペシャリストとしてキャリアを積んでいきたいと思えなかったのです。

このように悩んでいた時、研修プログラムの一環でお世話になっていた都立墨東病院救命救急センターの部長から「うちで、しばらく働いてみないか」と声をかけていただいたのです。

同センターは3次救急の初期治療だけでなく、継続して根本治療も行っていました。「ここなら、外科をサブスペシャリティとして活かしながら幅広い疾患や治療に携われるかもしれない」と考え、医局を辞めて同センターに就職。12年間、墨東病院の救命救急センターに在籍しました。

──12年務めた墨東病院救命救急センターを辞め、小笠原村診療所に赴任したのはなぜですか?

小笠原村診療所に興味を持ち始めたきっかけは、妻が一時期、同診療所に看護師として勤務していたことでした。結婚直後のことでしたが、彼女は僻地医療に携わってみたいとの理由から単身で1年半の間、勤務していたんです。その間、私は休暇を利用して何度か父島に遊びに行っていました。そのうちに、診療所の運営母体である村役場の方々と知り合いになり、同診療所の代診医も経験させてもらいました。

1年半の勤務を終えて妻が本土に戻り、子どもが生まれるなどプライベートの変化もあった中で、徐々に私は自分のセカンドキャリアについて考えるようになっていきました。

もちろん墨東病院の救命救急センターで救急医としてのキャリアを継続することも選択肢の1つとして考えましたが、一方で地域医療にも興味が出てきていたのです。
次ページ > なぜ「地域医療」だったのか?

取材・文=coFFee doctors編集部

ForbesBrandVoice

人気記事