ライフスタイル

2021.11.27 12:30

孤独のグルメ作者が辿り着いた『面(ジャケ)食い』という真髄

『面(ジャケ)食い』(久住昌之著、光文社刊)


空っぽサンプルケースの店


東京都・武蔵境で、その古い大衆そば屋は久住氏の目に留まった。
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看板には屋号よりも大きく「おそば」の文字。丼ものもやっているらしいが、特に商品の売り文句も見当たらない、本格そば屋というわけではなさそうな見た目の店だ。しかし何より久住氏の興味を引いたのは、そうした看板や店構えだけではなく、店先にある空っぽのサンプルケースだった。

「食べ物がなにひとつ置かれていない。もちろん、昔はあっただろう。今は全部ない。品名が書かれた黒い小さな板だけが、墓石のように並んでいる。

サンプルケース左側一番上の段には鉢や紙のポットに入った造花が並んでいる。花の上にはひとつずつ、クマのぬいぐるみものっている。中断には、なんか小さなふたつの人形(かわり雛?)とミニチュア石灯籠。下は民芸風ミミズク型容器の大・中・小。
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家の中で邪魔になったけど捨てられないものを、ここに持ってきたように感じられる。ここに飾ろうと覆って買ったものではないだろう」

普通ならちょっと引いてしまう、なかなか個性的なジャケットの店である。

その一方で年季の入ったジャケットから、地域に長く根差してやってきたような雰囲気も感じ取っていた久住氏は、勝負に出た。

「面(ジャケ)食い」で得る予想外の満足感


入店するとなべ焼きうどんをメインに頼み、待っている間にビールを注文する久住氏。ビールには、「雪の宿」という白い砂糖がまぶされたせんべいがついてきたそう。

「せんべいをかじって、ビールを飲む。せんべいは、ちょっと甘い。静かだ。どこか地方に旅に来たようだ。表のサンプルケースの裏側は、一部透明のところを除き、懐かしい模様ガラスになっている。昔の実家にあった。子供の頃を思い出す」

そんなノスタルジーを感じていると、鍋焼きうどんが出来上がっていた。

「海老の天ぷらがのっている。ナルト、しいたけ、かまぼこ、ネギ。ネギは大きく切ってある。小松菜。そこに生卵が落としてある。まるで、親戚の家で出された一品みたいだ。汁をすする。熱い。つゆ、やや濃い。のぞむところだ。天ぷらをかじる。コロモが家っぽい。いや、家っぽくもない。サクサク、ではない。固め。噛むとボリンとしている。揚げたてではない。揚げ置きなのか。上等上等」

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Getty Images

出されたなべ焼きうどんは、一流店が出すようなものでも、グルメリポーターが絶賛するようなものではなく、ごくごく素朴なものらしい。それなのに、湯気がたつ汁をうまそうにすすり、海老天を満足げにほおばる久住氏の姿が読者の目に浮かんでくるのはなぜなのか。

なべ焼きうどんのお供に常温の正一合瓶酒を頼むと、久住氏はますますうまそうに食べすすめる。

「ガラスの一合瓶から、安いお猪口に酒を注ぐ。

それをついっとあおると、冷たくない酒が、するりと唇から滑り込む。

ナルトをつゆに浸して口に入れ、後から酒を追っかける。

そして、まだ熱いうどんをたぐる。お猪口の酒をひと口。

君よ、ほかになにが欲しいというのだ」

どこか懐かしい店の雰囲気のためか、ビールでご機嫌になったためか、それとも思いがけず味わい深いなべ焼きうどんのためか。

ひなびたジャケットに気圧されながらも踏み入れた先で出会った、得も言われぬ満足感。そんな「予期せぬ」食事に、また、時に優しく時にくせが強い(笑)、店主や常連さんに出会えるところに、「面(ジャケ)食い」の真髄はあるのかもしれない。

(この記事は、『面(ジャケ)食い』<光文社>から編集・引用したものです)

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写真・文=ふじさわ りさ

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