キャリアの中心は手術手技を極めること
──どのようなきっかけで小児外科医を目指したのですか?
実はあまり真面目な学生ではなかったのですが、5年生で病棟実習が始まり、患者さんと接するようになってスイッチが入りました。1番影響を受けたのが小児科。もともと子どもが好きで、小児科は肌が合っていると感じたんです。ただ内科の長いカンファレンスが苦手だったので、小児外科がいいかもしれないと、漠然と考え始めました。
初期研修医時代には、救急医療に興味を持った時期もありました。しかし救急は初期対応が中心で、最後まで患者さんを診ていくことができません。一方の小児外科なら、生まれてすぐに手術をした赤ちゃんの経過をずっと診ていくことができる。そこに魅力を感じ、小児外科の道に進もうと決心しました。
実は研修を終えて長崎大学病院に入局したその日、先天性食道閉鎖症の赤ちゃんの手術がありました。その赤ちゃんが退院した後、外来で再会した時に、つかまり立ちをしていて、次に会ったら歩いていました。成長するので当然なのですが、この時には本当に驚き、嬉しかったです。
今、そのお子さんは高校1年生になっていて、私が外来主治医として診ています。子どもたちの成長を見られるのは小児領域ならでは。未来ある子どもたちの治療に携われるのはやはり非常にやりがいがある、と常々感じています。
──小児外科医としてどのようにキャリアを積まれていったのですか?
佐世保市立総合病院はじめ長崎県内で研鑽を積んでいましたが、小児外科のさらなるスキルアップのため、2009年から2年間、国立成育医療センター(現・国立成育医療研究センター)で研修させていただきました。ここでの経験が、自分のキャリアに大きな影響を与えましたね。
同センターには、医局に所属せず自分の生き方を自分で決めているレジデント仲間に出会い、「そのような生き方があるのか」と感銘を受けました。ただ私の場合は「まず、小児外科を極めなければ、そういった生き方を選択できるのかどうかも分からない」とも思ったのです。
また当時、小児外科での腹腔鏡手術の必要性を感じ、まずは成人の腹腔鏡手術の経験も積む必要があると考えました。そこで成人・小児どちらの手術にも携わることのできる病院はどこかと考え、佐世保市立総合病院(現・佐世保市総合医療センター)へ戻ることにしたのです。手術手技を極めることが、私のキャリアの中心になっていきました。
同院では2年間で約500件、成人と小児の執刀を担当しました。その頃医師7年目で、若手への指導も始めていました。後輩が執刀し私が前立ちをした手術も500件程行い、2年間で約1000件の手術に携わりました。
かなりハードでしたがストレス耐性は強い方なので、あまり苦にはなりませんでしたね。ただ、自分の子どもが私のことを親だと認識していなくて、「また来てね」とよく言われていました(笑)。それも今ではいい思い出です。
2013年に現在所属する長崎大学病院腫瘍外科に移り、現在まで手術や県内の他の病院での外来応援・手術応援に携わっています。