なぜいま、デジタル庁は「デジタル」を叫ぶのか?

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ソフト開発の限界


菅政権が目玉政策として昨年ぶち上げたデジタル庁だが、このイベントの直前にはスイスのビジネススクールIMDの「世界デジタル競争力ランキング」が発表され、世界64カ国のランキングで、日本は欧米やアジアの主要国には及ばず、ベルギーやマレーシアに次ぐ28位というお祭り気分の足を引っ張るような結果が出されていた。

知識、技術、将来性、人材、ビジネス度などの指標などによる評価だが、科学的知識への取り組みや技術の枠組みなどは比較的上位にあるものの、特に人材の国際経験やスキルや企業の対応力が、ほぼ世界の最下位に位置するという厳しい結果だ。

1位はやはりアメリカで、香港、スウェーデン、デンマーク、シンガポールと続くが、8位にはオードリー・タン担当大臣の活躍する台湾が昨年より3位順位を上げて食い込んできている。いろいろ動きが活発な中国は15位だが、昨年8位だった韓国は、どういうわけか4位ダウンして12位と振るわない。


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総務省は最新の情報通信白書でこうした遅れの原因として、ICT投資や人材の不足、デジタル化への不安や抵抗、デジタルリテラシー不足などを指摘しているが、こうした点は昔から何度も指摘されてきたものの、それらがずっと主張され続けるのは、政策不足なのか? 文化的限界なのか? などの分析が不足しているせいではないかと思うが、結局はデジタル化の後れに対する本当の危機感を誰も感じていないのではないかとさえ思ってしまう。

思えば、日本のデジタル化に対する政府の取り組みは、急に21世紀になってからICT化の掛け声の下にIT戦略本部が設立され、e-Japan戦略、i-Japan戦略、世界最先端IT国家創造宣言、デジタル・ガバメント推進方針等の言葉が続き、2018年には世界最先端デジタル国家を目指すと威勢のいい宣言をしているが、ある程度のインフラ整備は進んだとはいえ、世界ランキングでは最先端からは程遠く、掛け声ばかり大きくて、それらは地球温暖化対策のように空回りしている。

デジタル化の前夜の1960年代には通産省が音頭を取って、電子計算機(コンピューター)開発でアメリカに追いつくべく企業を指導・グループ化し、IBMに対抗する安価で高性能なハードウェアを作り出すことでコンピューター産業の育成に奔走した。おかげで1980年代には日本の国際競争力も上がり、世界最大のシェアを取っていたIBMが日本では2位に転落する事態にまでなった。

しかし時代は、いわゆるハードウェアを高速化する戦いから、それらの計算力を十分に発揮するためのソフトウェア開発にシフトしていき、ソフトウェアの知的所有権を強化するアメリカが次第に情報化の最先端に返り咲いていき、次のパソコンの時代には基本ソフト(OS)を押さえることで躍進する。

パソコン時代には家電化したコンピューターは、誰でもが手を出せる日用品化して価格が下がり、日常で使われる場面が増えるにつれてソフトが多様化して、それらを供給するソフトウェア産業の人材不足が叫ばれるようになり、通産省はAIを自由に扱える次世代の第五世代コンピュータ計画(1982~1992)を宣言し、ソフトウェア開発の高度化や効率化のためにシグマ計画(1985~1990)などをぶち上げたものの、鳴かず飛ばずのまま終り、国家予算の無駄遣いだと批判を浴びた。

結局こうした政府の大型予算を付けた振興策で具体的成果を上げたのは、1976年から80年にかけて官民で作られた高密度な次世代LSIを作るための露光装置などを開発した超LSI技術研究組合ぐらいだ。それによって日本は80年代には「情報産業の米」とも呼ばれた世界の半導体市場で過半数のシェアを取るまで躍進を遂げたものの、その後の振興策は不十分なまま市場は韓国や台湾にどんどん追いつき追い越される結果になった。
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文=服部 桂

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