この精神医学的診断を聞いて、多くの国民はなにやら大変なことになっていると感じただろうし、専門家は複雑な思いにとらわれていることだろう。今回は物議(スキャンダル)を醸した眞子さまの結婚をめぐり、かつて宮内庁担当記者だった精神科医が心に移りゆく“よしなしごと”をそこはかとなく書き連ねてみたい。
皇族の配偶者選定には「身元調査」が
最近はやりの言葉に「親ガチャ」がある。「こむろ」と聞くとフォーク歌手の小室等さんを思い浮かべるビー玉・めんこ世代にとって、カプセル入り「ガチャガチャ」は自分たちの子ども世代用おもちゃだったし、何が出てくるか運次第という仕組みから広まった造語「親ガチャ」は、なるほどと思う反面、そんなものになぞらえて……というやるせない気持ちにさせる表現だった。
眞子さまは1991(平成3)年生まれの「ガチャガチャ」世代だが、皇族という身分を考えると、幼少時にカプセルを買った経験はおそらく一度もないだろう。
皇族女子の結婚は公事として執り行われるのが習わし。それが一連の成婚儀式をすべて私的行為とせざるを得なくなっても、眞子さまは大学同級生の妻になることを選んだ。
そこには、日本国憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいてのみ成立」という原則をごく自然に実践する世代感覚が流れているように見える。その裏には、ロイヤル・ファミリーという一般国民とは異なる立場の重荷から解放されたかったのではという憶測も生じる。
そもそも、ボタンの掛け違いは結婚相手の小室圭さんではなく、母親の佳代さんを巡る報道にあった。個人的には興味がないので詳細は知らないが、4年前のお二人の婚約発表後、佳代さんの元婚約者との金銭トラブルが報じられてから雲行きが怪しくなったようだ。
公人である皇族の配偶者選定に際しては、必ず身元調査が行われる。上皇后である美智子さまのときは民間から初のお妃候補ということで「ミッチー・ブーム」が起きたし、皇后雅子さまのときは母方祖父の昔勤めた企業が議論された。
当時、宮内庁担当記者だった私は、雅子さまの父方小和田家のルーツを調べるため新潟県村上市まで出かけ、地元新聞記者の協力を得て室町時代までさかのぼる家系図を作成した。
ベトナム戦争には行かなくても
複雑性PTSDは3年前、ICD-11という国際疾病分類に登場したばかりの新しい疾患名だ。
PTSD(post -traumatic stress disorder)という専門用語はすでに広まりつつあるように思う。とくにトラウマ(心的外傷)と聞いて「虎と馬」を思い浮かべる馬鹿はいない。
PTSD診断基準作成のきっかけとなったのがベトナム戦争で、帰還兵の精神症状を把握する必要が生じた。戦争や災害、大事故などで重大なトラウマを受けた者に辛い場面がいきなり蘇るフラッシュバックや、交感神経過敏による不安、不眠などの過覚醒、原因となった状況の回避といった症状が生じたとき、診断されるようになった。
ところが、トラウマにはもっと身近で、人の心に深い痛手を負わせるものがある。