ビジネス

2021.11.10 17:30

「思い出したくもない状況」から、新事業で大逆転。タカハタ社長の転機

タカハタの高畑洋輔社長


──その後24歳で現在のタカハタに入社。この時、人生グラフはどん底を指していますが、なぜですか? 
advertisement

入社当時の状況は、思い出したくもないぐらい最悪だったからです。

最初は溶接の部署にいたんですが、「面倒臭いことはあいつに任せろ」という幹部の意見で、生産管理も担当することになりました。親父が会社のキャパを踏まえずにどんどん仕事を取ってくるので納期遅ればかり発生していて、お客様に謝ってばかりの毎日がすごくつらかったですね。

納期に間に合わせるために、社員に頼み込んで夜中に作業してもらったりしていたから、当時の睡眠時間は毎日3時間ぐらいだったんじゃないかな。
advertisement

しかも入社して1年ぐらい経ったときに、加工用のデータをつくる部署にいた社員3人が全員辞めてしまったんです。僕はたまたま実習先でCADを学んでいたので、過去の図面を見ながらなんとかやりましたが、1人じゃ全然進まなかった。

会社は赤字でどん底。収益が成り立たないながらもなんとかボーナスを捻り出していたのに、それを知らず、残業目当てで働くやる気のない社員に失望したりする日々でした。

外には謝るばかりで、社内はぐちゃぐちゃ。当時は「もう逃げてやろうかな」ってずっと思っていました。

本当に逃げ出したかったけど、それは自分が一番やってはいけないことだともわかっていました。自分が逃げ出したら、従業員やその家族が大変なことになりますから。

──28歳で稲盛和夫さんの「盛和塾」に入ったそうですが、きっかけは?(転機②)

取引先の紹介です。入塾してしばらくは幽霊部員でしたが、あるとき「燃える闘魂」がテーマの会に参加したんです。経営には燃える闘魂が必要だという話を聞いて、思わず言ったんですよ。「俺は燃える闘魂持ってます! それでもうまくいかないんです!」って。

そしたら会場にいた先輩に「お前は会社の数字を本当にわかってるんか? ただ頑張っとるだけじゃないんか?」と一蹴されて、ハッとしました。いままでは納期を守ることにばかり必死で、自分で見積もりをつくったことがなかったので、「数字をわかっていない」という指摘はその通りでした。

あんなに頑張ってきたのに「お前がそんなんだから従業員が苦しんでいるんだ」と言われたことが悔しくて、悔しくて……。うわーって泣きながら帰りましたね。

それで、すぐにコンサルティング会社に「助けてください」ってメールしました。ところが、「御社には組織表もなければ経営理念もない。まずはそこからですね」と断られてしまった。もう完全にくじけそうでした(笑)

──そこから、どのように会社を変えていったのですか? 

まずはモノマネからやと思い、稲盛さんの経営哲学を見よう見まねで経営理念や行動指針をつくりました。さらに稲盛さんは「トップの考え方で会社は変わる。トップの器以上に組織は成長しない」と言っていたので、自分がトップになるしか状況を打開できないと思い、親父に「代表を変わってほしい」と直談判しました。実際に交代したのは31歳のときです。

そのとき自分は専務でしたが、経営者だってすぐできるだろうと思っていたんです。ところがいざ交代してみると、「どうしよう! 変わってしまった!」と急に自信がなくなってしまった(笑)。それまでは、専務だったから自由なことを言えていたんです。自分が全てを背負う立場になって初めて感じる重責を感じました。
次ページ > 豆腐は「偶然の産物」

文=一本麻衣 編集=松崎美和子

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事