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タカハタの高畑洋輔社長

売上げ、利益、従業員数などの「規模」は小さいが、未来を切り拓くユニークな製品やサービスを展開する企業「スモール・ジャイアンツ」。ビジネスを通して、世界を変えようとしている企業のトップは、どんな道のりを歩んできたのか。社長たちの波乱万丈な生き方にフォーカスし、人生を変えるきっかけとなった3つの転機に迫る。

香川の産業機械メーカー、タカハタの3代目 高畑洋輔社長。元々は板金の加工・溶接を担う下請け会社だったが、現在は大型産業機械の設計から据付、メンテナンスまで一貫して手がける企業へと成長させた。近年は豆腐製造などの食品事業にも進出し、業績は過去10年間で15倍に拡大。直近の売上高は30億円に上っている。

高畑社長は、幼少期からプロサッカー選手を目指していたものの、大学時代にその夢を断念。24歳で家業に入るが、あまりの経営状態の悪さに一時期は逃げ出すことばかり考えていたという。

しかし、ある出来事をきっかけに、父親に社長交代を直談判することに。自ら経営を背負って立つ覚悟を決めてから、業績は拡大の一途を辿ることとなった。最近は豆腐から排出されるおから乾燥機の開発など、フードロス対策にまで手を広げている。



高畑洋輔社長の人生グラフ(直筆)

1. 22歳(2001年):自分で就職先を決めていたにもかかわらず、父親の決定で工作機械メーカーに実習生として入社。手取りは8万円で食べることも厳しかった。

2. 28歳(2007年):実家に戻ってから、不満ばかりの従業員と納期遅れが多発する毎日に逃げ出すことばかり考えていたが、「盛和塾」に入って考え方が変わった。

3. 40歳(2019年):常に明るく前向きに事業を進めてきた結果、協力者が増え、事業体制が整った。自社の強みと目標がはっきり見えたので、あとは進むのみ! 

──プロのサッカー選手を目指していたそうですが、なぜ諦めてしまったのですか? 

大学までほとんどサッカー推薦で進学していました。でも、大学時代に、自分はプロにはなれないと悟ったんです。だってボールの競り合いになると僕が優位でも、「星」を持っている人の方にボールが転がっていくんですよ。それが一度じゃなくて二度、三度あって。「ああ、星を持っているやつというのはこういう人間なんやな、自分にはサッカーの星がなさそうだ」と思って諦めました。

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Jリーグのサッカークラブ「カマタマーレ讃岐」に所属していた頃の高畑社長

サッカーを通じて身についたものがあるとすれば、「人を見る力」かな。高校でも大学でもキャプテンをしていたので、相手にどう話せば言いたいことが伝わるかを常に考えていました。

サッカーは個人技だけでは勝てないスポーツなので、チーム全体がいかに円滑に動けるかをいつも意識していましたね。

──工作機械メーカーへの就職が1つ目の転機になっていますが、仕事はどのように決めたのですか? 

これは親父に勝手に決められていたんですよ。2月頃だったと思います。僕は自分で就活して内定がとっくに出ていたのに、「お前の行くところは決まっているから」と言われて。(転機①)

当時の家業は、板金の加工・溶接で成り立っていたので、その技術を学ぶために岐阜の工作機械メーカーに行けと言われたんです。そこで実習生として約2年過ごしました。

その時の給料は、家賃と税金を引いたら手取りで8万円しか残らなかった。大学時代にバイトしていた方がよっぽど稼げていましたよ。しかも自分には「奢り癖」があったので、気前よく後輩にご馳走してしまって、生活費がよくなくなって困ってました(笑)

文=一本麻衣 編集=松崎美和子

起業家

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