「自分の文化」は選べるのか? デザインにおけるローカルのあり方とは

アフリカ系フランス人のデザイナー、ピエール・アントワンさんのリサーチブック


サンローランついでに、ローカルとアイデンティティの問題に関しても、サンローランのケースで考えてみます。

イヴ・サンローランはアルジェリアの出身です。フランスの植民地であったアルジェリアは、アフリカ、アラブ、地中海の文化の交流地点でもありました。幼少時にパリに引っ越し、パリのファッションデザイナー養成校を出てデザイナーとして頭角を現します。ディオールが急死したあとのディオールのメゾンを21歳で引き継いで、「イヴ・サンローランはフランスを救った」とまで新聞に書かれます。

しかし、フランスを代表するデザイナーとして活躍が期待されるまさにこれから、というとき、アルジェリア独立戦争のためにフランス軍に徴兵されるのです。

祖国アルジェリアに対し、敵として戦えというのですよ? ただでさえ繊細なイヴがどのような苦しみのなかにいたかは想像がつきます。軍隊内でのいじめの影響もあり、20日後、フランスの精神病院施設に収容され、電気ショック療法を含む精神医学の治療を受けることになるのです。

後年、彼は薬物依存や鬱、それに付随する自暴自棄な行動を繰り返すのですが、その原因の源はすべてこのときの体験にある、と自身で語っています。

サンローランのローカルアイデンティティを「生まれた場所」に求めるならばアルジェリア、しかし彼は、そこと暴力的に闘うことを強いられるという過酷な体験をしています。彼がファッションビジネス上、選び取ったアイデンティはパリ、しかもリヴ・ゴーシュ(左岸)でした。前衛的なアーチストやリベラルな文化人が住んでいた地区です。

しかし彼は心のよりどころとなるアイデンティはそこではなく、生まれ故郷に近いモロッコのマラケシュに求めています。光と色彩あふれるマラケシュに別荘を建て、好きな美術品を集めて彼の理想郷を作り、終の棲家としました。


マラケシュにあるサンローランの別荘は現在マジョレル庭園として観光名所にもなっている(Getty Images)

サンローランらしいローカルアイデンティティ、として私が思い起こすのは、このモロッコのマラケシュの家なのです。苦闘の果てにたどりついた、生まれ故郷に近いところにもちこまれたパリ左岸、というイメージ。これもまたハイパーローカルの一変種とみなしてよいのかどうかわかりません。

ただ、人やブランドにふさわしいローカルアイデンティティとは、それぞれの闘いの末に人やブランドが勝ち取る、または葛藤を経た結果としてたどり着く「場所」であり、決して、法務的な定義ありきであってはならないと思うのです。

連載:ポストラグジュアリー 360度の風景
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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