「自分の文化」は選べるのか? デザインにおけるローカルのあり方とは

アフリカ系フランス人のデザイナー、ピエール・アントワンさんのリサーチブック


アントワンさんの視点を読んだ後に感じた身体感覚は、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』という小説の読後感に近いものでした。主客がぐるんと回転した時に見えてくる、全く異なる真実の大きな全容。それを自覚した時に生まれる、これまで立っていた世界が足元から崩れていくような感覚。主客が逆転すると、世界の見え方、歴史そのものが、まったく異なるものとして立ち現われてきますね。

がっちりと固定されていたねじの回転をもたらしたのは、この指摘です。

「十分にアフリカ文化の影響を受けていたはずのフランスのファッション史に、アフリカ文化の記載がない。参照されるのはイヴ・サンローランによる1967年のアフリカンコレクションのみ。しかもサンローランのコレクションは、文化搾取のコンテクストに疑問を挟むことなく語られる」

そうなのです。サンローラン。彼はフランスファッション界どころか、西洋ファッション界における「モードの帝王」、神聖不可侵な巨星です。私自身が西洋の視点で書かれたファッション史の記述にどっぷりと浸りきっており、サンローランについて書く時も、西洋史の視点から見て、彼を文化の駆動者として称揚してきました。


デザイナーのイヴ・サンローラン(1977年撮影、Getty Images)

たとえば、アフリカンコレクションもそうですが、彼は黒人差別の激しかった1960年代にはじめて黒人モデルにランウェイを歩かせた「勇者」であり、それにより多文化主義を促進した偉大なデザイナー、として位置づけていました。黒人モデルを起用した理由として、「黒人はセクシーだ。僕の服を着せてみたいと思った」とサンローランは語っており、「ねじの回転前」には、同時代の偏見から解放された自由なデザイナーだなと感心し、美談として受け止めていました。

いやしかし、ですね。「ねじの回転後」に見えてきた世界からこの美談を読むとどうでしょう。「私たち黒人は、別に西洋の服を着せられなくても十分にセクシーです。着せ替え人形にしてご自分の名声のために利用するのはやめてくれませんか」と抗議する黒人モデルの声が聞こえてくるようです。

いったん「回転後の世界」の目で見てしまうと、サンローランがやっていたことは文化の盗用、美術の盗用だらけです。モンドリアンの抽象画からヒントを得た「モンドリアン・ルック」なんて、なぜ名作として受けとめられたのか? モンドリアンの作品からの盗用ではないのか?

「チャイニーズ・コレクション」も中国文化から着想を得たもので、それ自体が文化の盗用にあたるばかりでなく、そのコレクションがらみで発表された「オピウム」という香水のケースにいたっては、日本の武士の印籠からヒントを得たものでした。中国と日本をごたまぜにしている、でたらめな盗用ではないのか?


1977年に発売された香水「オピウム」(Getty Images)

サンローランの名誉のために言えば、当時の西洋ファッションの領域では、多文化にヒントを得ることはグローバル視点に則った素敵なことと見られていたのです。パリに渡った高田賢三もロシア、中国、中東からヒントを得た「フォークロアスタイル」で、大いに「やらかして」いました。当時としてはこうしたことすべてが「パリモードへの貢献」として絶賛され、賢三は「東西文化を融合した」として高く評価されていました(今もですが)。

多文化からの楽観的な引用行為が許されなくなった今、西洋視点に立脚してきたファッション史そのものも早晩、書き換えなくてはならなくなるでしょう。

堂々たるアンティークのお屋敷を切り盛りするマスターだと思い込んでいたのに、実はとっくに死んでいる過去の幽霊だった……。『ねじの回転』のヒロインのような思いに襲われ、「おまえはもう死んでいる」というケンシロウのセリフが頭にこだましている西洋ファッション史の研究者は、少なからずいるはずです。
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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