「自分の文化」は選べるのか? デザインにおけるローカルのあり方とは

アフリカ系フランス人のデザイナー、ピエール・アントワンさんのリサーチブック


これを機に、アントワンさんはフランスの服飾史におけるアフリカ系黒人女性の役割について探求を始めます。

フランスは何百年と植民地経営にかかわり、十分にアフリカ文化の影響を受けていた。それなのにフランスのファッション史にその記載がほとんどない。参照されるのはイヴ・サンローランによる「アフリカン・クイーン・コレクション」(1967年)がほぼ唯一ではないかと彼は指摘します。

アントワンさんが2000年代にフランスの学校で受けたファッション教育をベースにすれば、「イヴ・サンローランのコレクションは、文化搾取や植民地主義とのコンテクストに疑問を挟むことなく好んで語られる」状況にあると言います。したがってアントワンさんは「服飾史のなかで欠けているフランスとアフリカの関係を示す」ことにエネルギーを注いでいます。その結果を2020年に発表しました。


柳細工のストラクチャーに綿生地を貼り、プリントのパンツをはいているRahim Lone がモデルとなったアート・パーフォーマンス

こうした思索を重ねているアントワンさんは、「文化の盗用に対する唯一の回答なんてない」と考えています。「あえて言うならば、『君はどこかのグループに属していると感じる?』『君は自身のイメージや表現が、他のグループから悪用されたと感じる?』と問い、答えがYESなら『じゃあ、どういう風に?』」と丁寧に聞いていくプロセスにしか、このテーマに対するアプローチはないのということでしょう。

「文化の盗用」が最近問題になる理由を、彼は「昔からあったことですが、新しい世代が旧来の枠組みにウンザリとしていて、それが可視化されているのだと思いますよ」と話します。性別や人種などを区別し、そこにトラブルの要因を押し付ける。かつては隠れて行われていたそれらの多くのプロセスがみえるようになったので、堪忍袋の緒が切れたわけですね。

ここで冒頭の話に戻ります。多くのことが目に見えてきたから、下手をしないように、自らと関係のあるローカルの文化(言い換えれば、しがらみのある文化)を、オリジナリティの根拠として使おうという流れがでています。つまり、ローカル文化を「ステレオタイプ」ではなく「オーセンティック」という形容のもとに置こうとしている向きです。

中野さん、これはちょっと窮屈じゃないですか? 生まれ育った場所のローカル文化という他人が口を挟みにくいところに旗をたて、新しいラグジュアリーは「インクルーシブ」を鍵とすべきですから、ローカルも開かれたコンセプトに基づくのが自然です。でも、逆にローカルをある種、特権的な存在に祭り上げているようにも見えます。

その観点からすると、アントワンさんの「文化は選べる」というロジックはとても強烈です。彼のデザインした以下の作品はセネガルを意識しているのかどうかわかりませんが、前述の外交官夫人のファッションの流れを感じます。


アントワンさんの作品


ローカルをもっとオープンで他のローカルと交流のあるものにしていきたいですね。ぼくが昨年訳した『日々の政治』は、ソーシャルイノベーションとデザインを結びつけたエツィオ・マンズィーニが書いた本ですが、彼は物理的な近接を表すローカルと遠いローカルが繋がる「ハイパーローカル」という考え方を提唱しています。ラグジュアリーの新しい姿はこのハイパーローカルから出現するのではないか、とぼくは期待しており、そうなれば新しいイメージが具体的な中身のあるものになりそうです。

中野さん、アントワンさんの話から想起されるところを教えていただけますか?
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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