目標はもちろん「Jリーグ」。だが、それだけではない
サッカークラブだから、もちろん、目指すはJリーグである。四方さんの夢はさらに、日本の枠を超え、世界に向けて直接発信し、世界とクラブ、ホームタウンの人びとが直接結びつく「インターナショナル」な存在へとふくらむ。だがそのためには、市民の理解だけでなく、幅広い支援を得る必要がある。
鎌倉を代表する企業である豊島屋とは、早くから接触を試みていた。しかし当時、法人格もないサッカークラブの代表では、久保田陽彦社長に会うこともできなかった。昨年からは、コロナ禍で帰国もままならなくなった。それでも、オンラインでの会話だけで、最終的にスタジアムネーミングライツという最も重要なスポンサーになってもらうことができた。
カギは四方さん自身が「ヒエラルキー」にとらわれなくなったことにあった。日本のサッカーでは、日本代表とJ1リーグに最も大きな商品価値がある。メディアへの露出が多く、「広告効果」がストレートに出るからだ。そこからJ2になり、J3になり、「J8」では、10万円、30万円でもスポンサーに価値があるのだろうか―。しかし四方さんは、そんなことを考えるのをやめにした。そして自分たちが考える社会的価値を堂々と語ることにした。自分たちが思っていること、大切にしていること、そしてこの活動を通じて、地域や社会の未来をどのようにしていきたいかということを、胸を張って話すようになった。
それは昨年末、スタジアムの建設計画を発表し、その形が見えてくるに連れて、劇的な変化となって現れた。こちらから頼むだけでなく、鎌倉インテルのビジョンに賛同し、共感して「手伝わせてほしい」という企業が次々に現れたのだ。
豊島屋の久保田社長とオンラインで最後の話し合いをもったのは、そうした時期だった。最初、久保田社長の反応は良くなかった。30分間ほど話し、四方さんは「これはダメかな」とあきらめかけた。
しかしそのとき、久保田社長がこう聞いた。「きみがやりたいのは、Jリーグに行くことなのか、それとも街づくりや人づくりなのか。要するにどっちなんだ?」
「もちろん、後者です」。四方さんは迷わず答えた。
鎌倉インテルは、チーム創設1年目の2018年からシンガポール遠征を行い、2019年にはタイに遠征し、ベトナムの少年チームを鎌倉に受け入れた。コロナ禍で海外渡航ができなくなった昨年には、日本国内に住むミャンマー人チーム、ベトナム人チーム、アイルランドチームなどを次々と招待し、親善試合を行った。サッカーを通じての国際交流、それによって国際的な人づくり、街づくりをしようというクラブ理念は、掛け声だけではないのだ。
「最終的にはすべてが教育に結びつき、国際的な人づくりや地域づくりにつながっていくと考えています」と話すと、久保田社長は「よし、それならわかった」と、全面的な協力を約束した。