2020年12月16日、ローランドは東証一部に再上場を果たした。同社は13年3月期まで4期連続の赤字となり、14年にMBOで上場を廃止している。経営を立て直したうえでの、6年ぶりの再上場。立役者である社長・三木純一は喜色満面かと思いきや、むしろ緊張感のある表情で直近を振り返った。
再上場の準備を進めていたローランドを、コロナ禍が襲った。感染拡大直後は、国内外で店舗が閉まり、頼みの綱のECも、アメリカではamazonが生活必需品を優先して楽器販売を一時停止した。マレーシアでは、工場が2カ月ロックダウン。巣ごもりで需要は旺盛だったものの、供給体制が整わずに売上を落とした。
再上場前の第三四半期には体制を整えてリカバリーし、中期経営計画も見直した。その矢先の10月、旭化成の半導体工場が火災で稼働停止に。またもや供給が危機に陥った。再上場延期もあり得る状況に、三木は迅速に手を打った。
「半導体は、とにかく市場の在庫を買い集めました。長引く可能性もあるので、他社のチップで代替するように設計変更も指示しました。通常、設計変更は3カ月から半年かかる。いまも供給不足は続いているので、あのとき指示していなければ、いま大変なことになっていた」
生産体制に目途をつけて、ギリギリの判断で再上場した。その後もコロナ感染再拡大でサプライヤーの工場が停まるなど、綱渡りが続いた。三木が「戦争のような日々」と形容したのも大げさではない。
とはいえ、再上場で肩の荷が一つおりたことはたしかだろう。三木は社長就任の翌年、外資系ファンドと組んでMBOを実行した。経営から離れていた創業者が猛反対し、社外からも創業者に同情する声があがった。それでも「立て直しには、資本の力、そしてオーナーと経営陣が一枚岩になることが重要」と押し切った。今回、企業価値を高めて再上場したことは、MBOの決断が間違っていなかったことの証明になる。
当時の心労は相当だったのではないか。そう問うと、三木は「人の目よりも信じる方向に進むだけ」と涼しげに答えた。
「私はエンジニア出身。いわゆるMBA的なことを学んで経営者になったわけではありません。ファンドがどうだという予備知識はなかったので、白紙の状態で本質だけを見ることができた。生半可に知識があったら、迷っていたかもしれませんね」
幼少期の三木は、むしろ周囲の目を気にする子どもだった。勉強ができるわけでも、スポーツが得意なほうでもなかった。無理やりピアノを習わされたが、才能はなく、バイエルの教則本を終える前にやめた。誇れるものが何もなく、評価基準はいつも他人の目だった。