オーガニック大国の立役者、ドイツ「緑の党」の遺伝子と躍進

緑の党 マーティン・ハーン (c) marastäbert

ドイツは「オーガニック発祥の地」と言われ、市場、生産、認証、政策などといったオーガニックのあらゆる側面で世界トップレベルを誇ってきた。ドイツがオーガニック大国となった背景には、国や州などによる政策の存在が大きいと考えられている。

ドイツは1989年、有機転換する生産者に対し助成金提供を開始。当時、有機農業に公的助成金を投入していた国は皆無に等しかったが、ドイツはその数年後に公的資金投入先を次々と広げていく。例えば、生産者への継続助成、製造業・販売業など産業界への助成、大学などの教育機関で専科設置、技術や市場などといった研究助成、公的調達促進、消費者教育など広範囲にわたる。

これらの政策を後押しした主要な政党は、環境政党の「緑の党」だった。現在も全国に16人いる各州の農業大臣のうち半数が緑の党出身であり、国内の農業政策に多大な影響を与えている。

国内で緑の党勢力が最大の州と言われるのが、南西部バーデン=ヴュルテンベルク州(以下、BW州)だ。BW州で緑の党スポークスマンを務め、有機農家でもある政治家マーティン・ハーン氏に、緑の党とオーガニック推進の結びつきについて取材した。

チェルノブイリ事故がきっかけに


ハーン氏が緑の党に入党したのは、1986年チェルノブイリ原発事故直後だった。当時20代だった青年は、周辺有機農家から影響を受け、親から受け継いだ牧場を有機畜産へ、さらにはオーガニック世界最高峰と称されるバイオダイナミック農法に転換した直後だった。

「あれは原発事故後でした。放射性物質が風に運ばれて南ドイツに降り注ぎ、私の農園や周辺の土壌、水を汚染するという大惨事が起きたんです。私たちは、常に世界の事象に影響を受けています。望むと望まざるとにかかわらず、大きなシステムの一部なんですよね。政治家になる決意をしたのはその時です」


(c) marastäbert

社会に対して自ら影響を与えていくために、政治家としての人生を歩み出したハーン氏。迷わず緑の党に入党したのは、「原発に反対していたこと、同時に有機農業の重要性を唱えていたのは当時この政党のみだったから」だと言う。

当時、ドイツ反原発運動の担い手の多くはハーン氏のような若き生産者だった。その名残からか、緑の党メンバーには兼業として有機農業を営む政治家がいまだに少なくない。
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文=レムケなつこ

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