Close RECOMMEND

上阪徹の名言百出


「しかも、5年ぶりの新人配属で、みんなにかわいがってもらいましてね。存分に鍛錬できた。だから猛烈に勉強しました。3年もたつと全部1人で設計できるようになって。こうなると、開発の仕事がどんどん面白くなるんです」

基本特許を取得、さらには業界でも画期的な特許も出し、5年でもうこれ以上は身につけることはないと思えるくらいの状況になりました。それで異動願を出し、コンピュータの部門へと移ります。そしてここで、ビジネススクールに留学するのです。

会社を替えるのもひとつの選択肢


もともと子どもの頃から、友達の輪になかなか入っていけない、おとなしい性格だったといいます。

「父は大学で化学を教えていましてね。民間の世界を知りませんから、とにかく控えめに生きろ、分相応の世界が生きる道だ、が口癖でした」

そんな樋口さんを大きく変えたのが、ハーバード・ビジネス・スクールへの留学でした。とはいえ、留学の希望を出せば誰もが行けるわけではありません。それには仕事人として認められないといけない。そこで、誰よりも熱心に仕事をします。そして異動から5年、チャンスを手にするのです。

ハーバード・ビジネス・スクールでの2年間は、人格を変えるほどのインパクトをもたらすことになったと言います。

「ハーバードの厳しさについては事前に聞いていたんです。授業は厳しいし、2年進級時に落第して放校されることもあると。でも、実際の厳しさは予想をはるかに超えるものでした。ケーススタディが中心の授業ですが、発言しなければまったく評価してもらえないんです」

その準備に毎日12時間を費やしました。おとなしい性格です、控えめですなどと言っていたら、はじき飛ばされてしまうような世界。それこそ教室に入るときには、毎回パンパーンと頬を叩いて気合いを入れていたそうです。

「そんな毎日でしたから、人格は本当に改造されたと思います。2年経って帰国してからは、社内の会議でみんなが発言しないとイライラしたりしていましたから。昔の私を知る人なら、びっくりしたと思っていたでしょうね」

留学で学んだことを仕事に生かすことを考えていましたが、飛び抜けて昔気質の上司のもとに配属されてしまいます。オレの言うことを黙ってやれ、会議でしゃしゃり出るななどとすぐに言うような。

「戻ったときには、一生かけて会社に留学の恩返しをしたいと思っていました。でも、これでは能力があっても発揮できないと感じ始めて。苦しかったですね」

悩み抜いた末に退社を決断。ここから、外資系での華麗なキャリアがスタートするのです。

文=上阪 徹 写真=小田駿一

パナソニック
この著者の記事一覧へ

PICK UP

あなたにおすすめ