例えば、筆者の住んでいるラスベガスには、北に約100キロ行ったところに、原子力発電所の廃棄物を全米から集めて格納する巨大な地下処理場の施設がある。
もう数十年も前に建設されたものだが、連邦事業として批准されたその施設も、事故による原子力汚染を懸念した地元の人たちから、徹底的に反対されてきた。
実際のところ、ネバダ州は、選出の連邦議員が、オバマ大統領のキングメーカーでもあった実力州なので、政府に睨みが効いた。この処理場は、共和党政権の時に実用へのカウントダウンに入り、民主党政権になると無期限延期になるということを、クリントン大統領時代から繰り返してきて、実はいまだにこの完成された処理場は稼働していない。
まさに施設の必要性は認めるが、家の近所にできるのは絶対に困るという構図だ。
英語には類似語で「BANANA(バナナ):Build Absolutely Nothing Anywhere Near Anything」という言葉もあり、こちらになると「うちの近くにはどんなものでも断固お断り!」となる。
「NIMBY」という批判をどう交していくか
今回の計画は、8000室のホームレスの人のための宿泊施設に加えて、新たに1500室を確保するというもの。人権に配慮し、さらに地域住民との軋轢を緩和するためにも必要だというコンセンサスが取れている一方で、地域住民はこれまでのジャパンタウンの魅力が失われるとして強く反対している。
太平洋戦争中、アメリカは日系人を強制的に僻地へ収容した。ジャパンタウンは、その政策によって荒廃した地を、戦後の日系人の努力によって再構築してきたものだ。その歴史的な意義とかつての被差別の経験を風化させまいという観点からも、わざわざこの地にホームレスの宿泊施設をつくり、その聖旨を踏みにじるべきでないと怒る人もいる。
サンフランシスコにあるジャパンタウンの様子(shutterstock)
しかし、サンフランシスコ市は何もジャパンタウンを狙い撃ちしているわけではなく、今回のブキャナンホテルは追加する1500室のうちの131室でしかない。
このほかに3つのホテルの部屋が同時に施設のための買収対象となっており、ジャパンタウンのホテルだけは特別に除外せよという理屈は難しそうだ。
リトルトーキョーもジャパンタウンも、かつては日本からの観光客の土産物ショップとして栄え、その後日本人観光客の減少とともに力を失ったが、昨今はアニメやゴジラブーム、そして日本食の人気とともに賑わいを取り戻してきた。
この先、この問題はどこに向かうのか? ともかくアメリカで移民文化が共生しあうことの難しさを考える一例となったことは間違いない。
連載:ラスベガス発 U.S.A.スプリット通信
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