『新聞記者』(2019年)で第43回日本アカデミー賞の最優秀作品賞に輝いた、まさにこれからというときに、新型コロナウイルスが世界で猛威をふるい、活動を減速せざるを得なくなった。
そんななかで参加したのが、コロナ禍の映像クリエイターや制作スタッフを支援する映画製作プロジェクト『DIVOC-12(ディボック・トゥエルブ)』(10月1日公開)だ。『DIVOC-12』は、これからの日本映画界を牽引する12人の監督が10分間の物語を紡ぎ出すオムニバス作品。藤井は横浜流星を主演に迎えた『名もなき一篇・アンナ』の監督と脚本を担当している。
コロナ禍でも決して「動く」ことをやめなかったという藤井監督は、今年に入り、新作映画やドラマシリーズを次々手がけ、アニメーション作品のメガホンも取るなど、目覚ましい活躍ぶりで多忙を極めている。
休むことなく走り続けられる原動力はどこにあるのか。藤井監督に聞いた。
売上がなくなった。でもまだできることがある
──『新聞記者』で日本アカデミー賞を受賞してから、環境はどう変わりましたか?
自分としては堅実に階段を上ってきたつもりだったので、『新聞記者』でよくも悪くも目立ってしまったと思いました。賞賛もあるけど、バッシングもあった。その状況を見て、これは早く自分で『新聞記者』よりいい作品をつくらないといけないと確信しました。とにかく、これから数年は走り続けようと。
藤井監督のインスタグラムより
──これからという時期に、コロナ禍で立ち止まらざるを得なくなった気持ちは?
怒りとか憎しみとか、いろんな感情が湧きました。
去年の5月に新作映画の製作が止まり、夏に撮影を予定していた別の映画もロケ地が借りられなくなり、いろいろな計画がストップしました。会社で言えば、売上がないので、毎月固定費だけが消えていくような状態。できることをやろうと、ミュージックビデオや広告案件の製作をしたり、銀行から融資を受けたりして過ごしていました。
──厳しい状態だと気持ちも萎んでいきそうですが、どうやって乗り越えたのですか?
「いまの状況は全世界が同じ。自分たちだけがつらいわけじゃない」と思うようにしました。立ち止まると愚痴が出て、前に進めなくなりそうなので、与えられた環境のなかで、とにかく「動こう」と思いました。ピンチをチャンスに変える、というか。
──撮影すら厳しい状況で、「動く」のも難しかったのでは?
撮影ができないということは、企画をつくるチャンスです。僕はいま仲間と一緒に立ち上げた「BABEL LABEL(以下BABEL)」という製作会社を運営していますが、会社のメンバーには「いま忙しくしておけば、絶対にその後に勝てるから」と話して、この時期はとにかく企画書を書いていました。結局、この時につくった企画が思いのほか通ってしまったので、今年はすごく忙しい。ドラマだけで10本もつくったんですから(笑)。