『ホビット』の問題は、壮大な『ロード・オブ・ザ・リング』3部作をまねようと、原作の内容を限界を超えて引き伸ばしたことにあった。一方、『ファンタスティック・ビースト』の問題は、肥大しまとまりのなくなったストーリーにある。さらに舞台裏でも数々の論争が巻き起こっており、その多くを引き起こしているのが原作者のJ・K・ローリングだ。
『ファンタスティック・ビースト』3作目のタイトルが「Fantastic Beasts: The Secrets of Dumbledore(ファンタスティック・ビースト ダンブルドアの秘密)」となると発表されるやいなや、ツイッターでは「J・K・ローリング」がトレンドになった。トレンド入りと言っても、その理由は良いものではない。
『ファンタスティック・ビースト』シリーズでは脚本を担当しているローリングは数年前、トランスジェンダーに批判的なフェミニズム運動を支持する姿勢をあえて表明。以降、他人の局部の形について異常なほどに執着し続けているようだ。
大作映画シリーズを担う人物が、弱い立場にいるマイノリティーの権利について繰り返し疑問を投げかけるのは、道徳的、あるいは少なくとも広報の観点から見て、良い考えとは言えないだろう。ローリングが関わる『ファンタスティック・ビースト』シリーズがボイコット運動の的となることは必至だ。
嘲笑の声は、ローリングの不健全な執着だけではなく、映画そのものに対しても上がっている。シリーズ1作目は評判がよかったものの、2作目の『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』は、一貫性なく書き散らかした内容だったと広く評価されている。
2作目のストーリーは、動物学者が繰り広げる冒険が、魔法界でのファシズムの台頭と交差するというものだったが、この組み合わせはどうもかみ合わなかった。だがそれよりもまずかったのは、第2次世界大戦への度重なる言及だ。『ハリー・ポッター』シリーズは、現実世界の暗い歴史を思い起こさせることなくファシズムを題材とすることに成功したが、それに対して『ファンタスティック・ビースト』は、歴史を積極的に取り入れようとしているようだ。
正直、『ハリー・ポッター』のファンは、マグルたちが民族大虐殺を行っていたとき魔法族が何をしていたのかについて考えたいとは思っていない。そんなことをすれば、夢のような魔法の世界への現実逃避が台無しになってしまう。