(c) 大窪道治/2021OMF
この日の演目は、ラヴェルの『マ・メール・ロワ』、ドビュッシーの『海』『牧神の午後への前奏曲』フレンチプログラムに加えて、ストラヴィンスキーの『火の鳥』組曲(1919年版)という、デュトワの十八番中の十八番というラインナップ。デュトワが小澤征爾も好きそうな複数の曲を「セイジへのオマージュ」として提案し、そこから総監督が選んだものだという。
「ラヴェル、ドビュッシーの特徴的な音色はどのオーケストラにも美しく表現できるものではないながら、SKOの場合はひとつリクエストするとその音がすぐに返ってくる」とデュトワは述べていたが、曲の光景が耳を通じて脳に浮かんでくる感覚とでも言えばいいのか、鮮やかな色味を旋律に宿らせる様は、まさに魔術師のようであった。
今回のプログラムのように情景を描いた曲を振らせると、世界最高峰、右に出るものはいないレベルの美しさにまで到達させてしまうマエストロとSKOの組み合わせ。この上ない贅沢で、1曲めの『マ・メール・ロワ』の終盤から早々涙が浮かんできてしまった。
続いての『海』では、光を水面にきらきらと降らせていたとでも書けばいいのか、もう美しすぎるのだ。雄大な大海原の波のうねりの躍動感まで音楽でしっかりと伝わってきて、非現実な浮遊感のある夢のような世界に誘われた。
マエストロが「世界中で何度も演奏してきた」と自信に満ちた口調で語るラインナップなだけあって、当然のように暗譜で譜面台はなし。そこに驚きはなかったのだが、この日はなんと指揮台もなく、オーケストラと同じ地平を魔法使いのように舞いながら、ひとり音楽で描かれた別世界とも繋がってタクトを振っている様でもあった。
そしてやはり圧巻は後半の『火の鳥』。終章の不死鳥を召喚するかのような弦の凄まじい唸りと解き放たれた金管の絶叫に涙を禁じ得なかった。
小澤征爾。2021年8月31日にキッセイ文化ホールでリハーサルを見守る (c) 大窪道治/2021OMF
「松本の皆さんに協力していただき、無観客でも、SKOが集まって音を出せたことは何よりも大きな喜びです。2年ぶりにSKOの生の音を聴いたら涙が出ました。こんな大変な時に来てくれた、旧友デュトワにも感謝しています」と、観客席でつい自分も指揮をしながら聴いていたという小澤総監督はコメントを出した。
僕も、気迫あふれる演奏に触れて、今回の公演がなぜ実現にこぎつけられたのか少し解ったような気にもなった。そう、文化とは人間の想いそのものであり、その想いがある限り決して死なないものなのだ。
まだ生々しい余韻が残る中、帰宅後に自宅のスクリーンに投影して大画面で観た公演の配信も鮮烈で素晴らしかった。リアルタイムで鑑賞していた人々からのコメント欄も大いに盛り上がり、ユニークの視聴者数は2万人近くだった。10月以降には有料でのアーカイブ配信が予定されているという。
とはいえやはり生のパフォーマンスがあってのもの。来年の松本では満員の観客の前で、この最高のオーケストラの演奏を聴けることを心から祈りたい。
連載:山本憲資の百聞と一見の二兎を追う
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