トップの座についた女性リーダーが、真の「多様性」に気づくまで

エマ・トンプソン(左)、ミンディ・カリング(右)(Matt Winkelmeyer/Getty Image)


そしてチームの一員チャーリーは、後半判明するがキャサリンのかつての気晴らしの相手である。男性上司が仕事のストレス解消のために、女性の部下と一時の性的な関係を結ぶ、男女の立場は逆転しているが同じことをキャサリンもしているのだ。

番組では打って変わってキラキラと輝くキャサリンだが、バックステージでは「女」の皮を被っただけの旧来的なおじさん管理職と言っても過言ではない。

アイロニカルな視点で描かれる「多様性」


さて、このご時世で女性スタッフが1人もいないのは「多様性」が寿がれる世の中から見てどうかということで、「女なら誰もいい」とのキャサリンの命令で雇われるのが、インド人のモリーである。

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キャサリンにも影響を及ぼしていくモリー

「マイノリティの女だからだろ」「多様化枠の採用だろ」という他のライターたちの陰口は逆説的にも、「多様性」をやたらとお題目にし、それさえ掲げていれば正義とみなされるような社会への痛烈な皮肉として響く。

しかし当初から戦力として期待されていなかったモリーが、他のライターのようにボスに物おじすることなく、率直に発言しアイデアを出し、チームに刺激を与えていく様は見ていて単純に気持ちいい。

実際のキャサリンが自分の思ったような人ではなかったと知っても、「こうあってほしい」という真っ直ぐな視線を送り続けるモリーの純粋さと頑張りに、こういう人が1人はいなければ職場が腐ってくるのは当然と思わせる。

キャサリンが遅ればせながらモリーを見直すようになる契機が、2つある。

1つ目は、自宅でのパーティで報道陣に囲まれて辛辣な質問攻めに窮し、モリーの機転で助けられる時。モリーの頭の良さを印象付けると同時に、「キャサリンとインド人の弟子!」と組み合わせの“意外性”を吹聴したがるジャーナリズムの軽薄さもちゃんと描かれている。

2つ目は、がん患者のためのチャリティ・ショーでスタンダップを見せるモリーを、キャサリンがこっそり覗きに行く場面。

スタンダップ(スタンダップ・コメディ)とは、コメディアンがジョークやギャグを交えて演じる話芸のことで、テレビのバラエティショーなどの司会者もその技に習熟しており、キャサリンもかつては番組冒頭の鋭く軽妙なスタンダップが大人気だった。

ここでモリーの後に飛び込みで出演し、意外にも自虐的なスタンダップを見せて笑いを取るキャサリンがとてもいい。批判を受け付けなかった頑迷な彼女が、モリーの影響を受け、変わらなくてはと思い始めているのがわかる。

現状打開の試行錯誤の中から出てきた番組の新コーナーも、なかなか笑える。56歳の白人英国人女性というポジションをあえて打ち出し、街で人種マイノリティの人々を“お助け”するお節介おばさんを演じるキャサリン。まさに、マジョリティが「良かれ」と思ってマイノリティに親切を押し付ける時のズレや滑稽さが、カラッとした笑いと共に描かれている。

降板させられた後に指名される予定の司会者ダニエルの脅威、モリーに急接近してくるチャーリー、人気回復の矢先に流出するキャサリンのスキャンダル、モリーとキャサリンの間の越えられない溝など、最後の方まで先の見えない展開だが、「多様性」というスローガンに対するアイロニカルな視点をやんわりと吸収したラストは、見事な着地点と言えるだろう。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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