60年以上前から異人種間結婚に対する意見を米国で調査してきたギャラップによれば、これまでの最高の支持率は、2013年の87%だった。
ギャラップがこの調査を始めた1958年には、支持する人はわずか4%で、94%が不支持だった。
過去10年では、地域や世代による意見の違いが大きかった。
1991年になっても、南部における異人種間結婚の支持率は33%にすぎなかったが、2021年9月10日に発表された調査では、この割合は93%となっていた。
また、50歳以上の年齢層で異人種間結婚を支持する人は、1991年にはわずか27%だったが、現在では90%を超えている。
今回の調査は、2021年7月6日から21日にかけて、米国全50州の成人1007人を対象に実施された。
ギャラップが米国において、異人種間結婚に関する考え方の調査を始めたのは1958年のことだ。その同じ年、黒人女性のミルドレッド・ジーターと、白人男性のリチャード・ラビングが、異人種間結婚が合法だったワシントンD.C.で結婚の誓いを交わした。だが、バージニア州キャロライン郡の自宅に戻ったふたりは、「コモンウェルス(州)の平和と尊厳に反して、(違法に)夫と妻として同棲した」罪に問われた。異人種間結婚が、バージニア州の人種純血保全法(1924年成立)に違反するとされたためだ。
ラビング夫妻は重罪に問われて有罪となり、1年の刑期を宣告された。夫妻はバージニア州最高裁に上訴したが、そこでは最初の判決が支持された。その後、夫妻は連邦最高裁に訴え、審理が認められた。1967年6月、最高裁は全会一致でラビング夫妻の主張を支持する判決を下し、夫妻に対する有罪判決を覆した。連邦最高裁の判決は、バージニア州の時代遅れの法律は「不当な人種差別」と結びついたものであり、それ以外の正当な目的は存在しないというものだった。
「ラビング対バージニア州」裁判は、異人種間結婚を禁止するバージニア州の法律を無効にしただけでなく、米国における、人種に基づいて結婚を禁止するあらゆる法律にも終止符を打った。1967年夏の時点では、異人種間結婚を禁じる異人種間混交禁止法をまだ撤廃していない州は、合計16州にのぼっていた。
1967年にアール・ウォーレン連邦最高裁長官は、「合衆国憲法のもとでは、人種の異なる人と結婚する、もしくは結婚しない自由は個人に属しており、州がそれを侵害することはできない」と書いている。
1968年に実施されたギャラップの国際調査では、米国における異人種間結婚への反発は、他の国よりもはるかに大きいことが明らかになった。白人と非白人の結婚に反対する人は、米国では70%を超えたのに対し、フランスでは住民の25%、オランダでは23%、スウェーデンでは21%にとどまった。異人種間結婚を支持する人が米国でようやく多数派になったのは、1997年になってからのことだった。