小山薫堂x隈研吾スペシャル対談 「公衆食堂」の可能性

photographs by Yansu Kim


隈:アイデアはどこまで膨らんでいるの?

小山:ほかの皆さんが割とデジタル寄りなので、僕はあえてアナログ寄りにしようかなと。例えば「スーパーマーケット」。スーパーは「食」を最も身近に感じさせる場所でありながら、同時に「食」について考えることを麻痺・放棄させる場所でもありますよね。本来は狩猟や採集という行為を通して──つまり何かの命をいただいて自分の命をつないでいるんだけど、スーパーではそんなこと考えない。「命の値段」みたいなものも含め、食に関するアンチテーゼやメッセージをうまくパビリオンに落とし込めたらと考えています。

隈:1970年の日本万国博覧会(大阪万博)は、一般庶民が初めて西洋料理を楽しんだ機会で、この万博を境に日本の食文化は一変したんだよね。僕は当時高校1年生で、パビリオンは目立ちたがりのひどいデザインだと思っていたけど、唯一フランス館のカフェテリアがよくてね。セクションが美しいトレーに食べ物がのっていて、しかもすごくおいしかった。食と文化・デザインの関係に初めて目覚めたのは、大阪万博でした。

小山:そうでしたか。僕も何か人の心を動かすものを考えたいです。最後に、いま隈さんがいちばんやりたい建築は何ですか。

隈:新しいタイプの集合住宅かな。さきほどの公衆食堂と組んでもいいけれど、いままでと違う新しい生活を提案したい。そもそも僕が建築家を目指したのは、街並みなどなかった1960年代に、代々木体育館のインテリアや外観に圧倒されたからでした。

ただ、実際に建築をやってみると、「圧倒的な空間」をつくる能力だけでは駄目だとわかった。それよりも人間と建物をうまくつないだり、地域を盛り上げたりする力──人間同士の環境をデザインする能力が必要。それがないと、これからの建築家は生きていけないと思いますね。

【関連】建築家・隈研吾が中華街で学んだこと
 
<今月の一皿>
老舗中華料理店「華都飯店」のアボカドスープ。蟹身とフカヒレが入った、濃厚な味。翡翠色が食欲もそそる。



<blank>
都内某所、50人限定の会員制ビストロ「blank」。筆者にとっては「緩いジェントルマンズクラブ」のような、気が置けない仲間と集まる秘密基地。




小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わり、2025年大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務める。

隈 研吾◎1954年、神奈川県生まれ。90年、隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学特別教授・名誉教授。国内外で多数のプロジェクトが進行中。国立競技場の設計にも携わった。主な著書に『点・線・面』『ひとの住処』『負ける建築』など多数。

写真=金 洋秀

この記事は 「Forbes JAPAN No.084 2021年8月号(2021/6/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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