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最先端の経済誌「Forbes JAPAN」の記事紹介

コロナ禍で加速したオンライン化は、私たちの世界を広げた。一方で、私たちは「五感」で何かを感じることを忘れつつある。会議、フェス、イベント……。オンラインで完結することでも、実際にその場に行かなければ感じられないものはたくさんある。

オンラインに慣れてしまった人々を、アフターコロナの世界においてリアルな地に出向かせるためにはどうすればいいだろうか。


外出制限が続くなか、会議はオンラインに、食事はデリバリーに、映画はサブスクリプションにと、あらゆるものを場所性から解放する動きが加速した。

一方で、快適さと引き換えにゼロになった「場所性」。私たちは、どうしても必要な「何か」がなければ、どこへ行くこともなくなってしまった。リアルで集まったとしてもスライドを投影しておしまいなら、プレゼンも「画面共有でいいよね」となる。つまらなそうなプレゼンほど、わざわざ出かけず家で快適に参加したい。

実際、それでいいのかもしれない。ただ、人としてのさまざまな感覚が鈍った気もする。リアルな場でしか味わえない香りや手触り、相手との距離感、気配や表情、風が肌に触れる感覚。どれも、人間が人間らしく生きるために必要な情報に違いない。

自粛が終われば人間らしさを取り戻すため、みな本能的にそれを求めて一斉に動きだすかもしれない。そのときに、外に出る必要のあるコトとそうでないコトが再び仕分けられるような気もする。そんなとき、リアルで参加してもらいたい、リアルでよかったと言ってもらいたい、という主催者側のみなさんの気持ちになってみる。

例えば部を統括する部長さん、サークルのリーダー、プロジェクトの発起人、プレゼンを仕切る代表者……。「別にオンラインでよくない?」と言われないためにはどうする?

脱均質化と場所性


「サイトスペシフィック」という言葉がある。場所性を重視した表現方法を指す美術用語だ。新潟県「越後妻有 大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」といった地域芸術祭で発表される作品が例としてあげられる。新潟の美しい田畑や山々を舞台に、堂々とまたはスッと、またはひかえめに設置された彫刻作品は、見事に田舎の情景と調和し、新潟の大地そのものが展示室のように感じられる。

近代以降の美術館では「ホワイトキューブ」という真っ白で無垢な部屋に作品が展示されることが多い。収蔵庫から出されて展示される作品がどのような作品だとしても、展示室という場との不調和を起こすこともない。逆に言えば、ある作品がどの美術館のどのホワイトキューブで展示されたとしても大きな違いはない。そのような均質空間は、グローバル化の流れで数が増える一方だ。

均質化は美術館に限らない。どの都市のどのオフィスビルもだいたい同じ、どのショッピングモールも大差ない。コンビニなんかは最たるものだ。利便性と均質化はいつも隣り合わせである。

そして、さらに効率的で均質化されたオンライン空間に私たちはいる。そこから人々を連れ出すには、サイトスペシフィックな発想は有効かもしれない。実際、地域芸術祭は、都市の均質化された空間から人々を連れ出し、これまで見向きもされなかった田舎の過疎地へと導いた。

文=下浜臨太郎 イラストレーション=尾黒ケンジ

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