南カリフォルニアが育んだスケートボードとヒップホップの関係性

スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した西矢椛選手と、銅メダルの中山楓奈選手(GettyImages)

2020東京オリンピックでひときわ日本中を熱くしたスケートボード。競技中に選手同士がお互いを讃え、励まし合う様子が放映されると、勝負を超えてリスペクトし合うスケボーのカルチャーにも注目が集まった。

南カリフォルニアのストリートを発祥に持つとも言われるスケートボードは、ポップミュージックと共に発展し、そのカルチャーを育んできた。筆者の長谷川町蔵が厳選したプレイリストを聴きながら、西海岸の風を感じたい──。




東京オリンピック・スケートボード女子ストリートで、13歳の西矢椛選手が金メダル、16歳の中山楓奈選手が銅メダルを獲得した。話題を呼んだのは競技中にふたりが「ラスカルの話をしてました」と発言したこと。SNS上ではテレビアニメ『あらいぐまラスカル』ではないかとの意見が多数だったが(実際そうだった)、一部では「ディジー・ラスカルではないか」という主張も見られた。

ディジー・ラスカルというのは英国人ラッパーの名前である。普通なら「アスリート、しかも子どもがそんなマニアックなミュージシャンの名前を知っているわけがない」と思うだろう。しかし何歳だろうが、スケートボーダーならそれくらい愛聴していてもおかしくない。スケートボードとヒップホップの関係はそれほどにタイトなのだ。

スケートボードに限らず、ストリート系スポーツとポップミュージックは、相互に影響を及ぼしあって発展してきた歴史を持つ。こうした歴史を育んできた街こそが、ロサンゼルスを中心とする南カリフォルニアだ。なぜ南カリフォルニアだったのか? 理由は諸説あるが、太平洋戦争中に軍需工場が新設されたため同地に職を求める若者が集まり、戦後に彼らの子どもたちが一斉に生まれたことは大きなファクターといえるだろう。それまで特段の伝統を持たなかった南カリフォルニアのカルチャーは、その子どもたちが中心となって築いたものだった。

そのひとつであるサーフィンは、1960年代にハワイから伝わり、太平洋に接する長い海岸線を持つカリフォルニアで定着。ギター・インストゥルメンタル・バンド(ギターメーカーのフェンダーの本社はカリフォルニアだ)と結びついて、サーフィンの疾走感をサウンドで再現したインスト曲が、ローカルヒットを記録するようになった。

特に人気を呼んだのが、本人もサーファーだったギタリスト、ディック・デイル。彼は、低音弦を強いピッキングで早弾きし波がうねるようなトーンを、さらにリバーブを極限までかけ、水がはねるような感覚をサウンドで演出した。代表曲のひとつ「Misirlou(ミザルー)」は1990年代にクエンティン・タランティーノが『パルプ・フィクション』でテーマ曲として用いてリバイバル・ヒットした。

こうしたギター・インストゥルメンタル・バンドのサウンドに、夏を感じさせるハーモニー主体の爽やかなヴォーカルを加えたバンドこそが、ビーチ・ボーイズだった(初期アルバムにはディック・デイルのカバーも収録されている)。ビーチ・ボーイズの魅力は、サウンドとともにサーフィンの感覚をヴィヴィッドに伝える歌詞にあった。やがて彼らの歌は、南カリフォルニアの若者のライフスタイル全体を謳いあげるものになっていった。
次ページ > スケボーカルチャーをつくったティーンチーム

文=長谷川町蔵

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事