一方、スラッシュメタルはパンクへの対抗意識によって英国で生まれた「NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)」と呼ばれるヘヴィメタルの影響下で生まれた音楽ジャンルだ。つまり元々はアンチ・パンクだったわけだが、代表的なバンド、アンスラックスはハードコア・パンクやヒップホップとも交流している。こうしたクロスオーバーが平然と行われてしまうのは、リスナーが被っているからに他ならない。
彼らに限らず、他のエリアのアーティストが人生の生き方をリスナーに説く「教師型」が多いのに比べると、南カリフォルニアのアーティストはリスナーに歩み寄る「サービス産業型」が多い。例えば前述のヴェニス・ビーチを拠点とするハードコアパンク・バンド、スーサイダル・テンデンシーズは「スケーターズ・パンク」を標榜。徹底的にスケートボーダーの肌感覚をフィードバックしたサウンドで人気を博した。かといってサウンドにも妥協は無かった。何しろ現在LAのニュージャズシーンを支えるベーシスト、サンダーキャットが在籍していた時代もあるのだから。
現在スケートボーダーにとって欠かせない音楽となったヒップホップも、生まれた街こそニューヨークだが、1980年代にロサンゼルスに伝わってからスケートボードと結びつき、互いに影響し合うカルチャーを形成した。
ヴェニスビーチのスケーター(GettyImages)
西海岸ヒップホップがニューヨークのそれに比べて、テンポが遅く、隙間を生かしたサウンドなのは、ドライブ音楽としての効用に特化した「サービス産業型」ポップミュージックに変質したからだ。そうした意味で西海岸ヒップホップはホットロッドの後継音楽といっていい。スケーターの間に定着したのは1990年代半ばのこと。俳優のジョナ・ヒルが監督と脚本を手がけた半自伝作『mid90s ミッドナインティーズ』を観ると、当時の状況がよくわかる。
これまで書いてきたように、ロサンゼルスでリスナーへのサービスとハイ・クオリティなサウンドを両立したポップミュージックが作られ続けている理由は、ロサンゼルスが映画の都として発展したエンタメの街だからなのかもしれない。
そしてハリウッド映画が全世界で観られているように、南カリフォルニアのポップミュージックとライフスタイルも世界へと拡散していった。日本人スケートボーダーが英国人ラッパーについて語りあうとき(実際は語り合っていないのだが)、彼女たちの背後には南カリフォルニアの青い空と椰子の木が蜃気楼のように現れていたはずなのだ。
連載:知っておきたいアメリカンポップカルチャー
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