南カリフォルニアが育んだスケートボードとヒップホップの関係性

スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した西矢椛選手と、銅メダルの中山楓奈選手(GettyImages)


ビーチ・ボーイズがサーフィンとともにテーマにしたのが、ホットロッドだ。ホットロッドとは、カスタムカーのジャンルのこと。南カリフォルニアでは早い時期から、自己流に改造した中古車で公道レースを行う遊びが定着していた。そう、いまでは宇宙に行ったりしている『ワイルド・スピード』シリーズがロサンゼルスの公道レース映画として始まったのは、こうした伝統を踏まえたものだったのである。

1970年代後半に入ると、サーフィンとホットロッドの二本柱だった南カリフォルニアのユース・カルチャーに、もうひとつの柱が加わった。スケートボードである。発祥の地はヴェニスビーチ。もともとイタリアのヴェネツィアを模したテーマパークを作るために開発されたこのエリアは廃墟状態だったが、そこでサーフィンに興じていたティーンたちが、スケートボード・チーム「Z-BOYS」を結成し、スケートコンテストを荒らしまくるようになったのである。

それまでのスケートボードは、陸でもサーフィンの感覚を楽しむための余技にすぎなかった。しかしZ-BOYSは水を抜いたプールで(時には他人の家のプールに勝手に押し入って)腕を磨きあい、現在のスケートボードに通じるトリックを発明したのだ。


南カリフォルニアのカルチャーに革命を起こしたZ-BOYSのドキュメンタリー『DOGTOWN & Z-BOYS』

そんな彼らが愛聴したのは、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスといったハードロックや、T-REXやデヴィッド・ボウイらのグラムロック。スケーターのこうした音楽的な嗜好は、徐々にハードコアパンクやスラッシュメタルに移行していった。

ハードコアパンクは、その名の通り1970年代のパンクロックをよりハードに発展させた音楽として英米で誕生した。英国のバンドは、モヒカンや鋲を打った革ジャンなど攻撃的なファッションをしていたが、アメリカのハードコアパンクバンドのファッションは、Tシャツ、短パン、スニーカー、ベースボールキャップといったストリート・カジュアルが主流だった。彼らの多くは「パンクス=ガリガリに痩せている」というイメージを覆すように、サーフィンやスケートボードで鍛えた身体を誇っていた。

その格好のサンプルがヘンリー・ロリンズである。当時ロサンゼルスで人気を誇っていたハードコア・パンク・バンド、ブラック・フラッグのフロントマンで、現在は俳優としても活躍している彼は、早寝早起き、禁酒禁煙、さらに毎日3時間の筋トレを欠かさない人物である。それはファンたちも同じだった。現在パンク系のライブでお馴染みの激しいモッシュやダイヴは、この時期の米国ハードコア・パンク・シーンの客が生みだしたものだ。

マイク・ミルズ監督の半自伝映画『20センチュリー・ウーマン』には、主人公がニューヨークの文化系パンクバンド、トーキング・ヘッズを愛聴していることを馬鹿にされるシーンがあるが、それは主人公が住んでいるところが1979年の南カリフォルニアだからである。
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文=長谷川町蔵

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