──自然との関わりという意味では、シェフというお仕事も自然と深く関わるものですね。
久岡:京都の魅力は、生産者の方との距離がとても近いこと。私も、食材の現場である畑や漁港に度々出かけています。大量生産、大量消費ではなく、地域に根ざした店として、自然に左右されながらも食材を丁寧に生み出している生産者と一緒に仕事をしてゆくことが大切だと考えています。
もし、天候などの理由でいずれかの食材がなかったりした際に、「同じ食材を、どこか別のところから調達すればいい」という考えでは、ありきたりの料理しかできません。今身の回りにある自然のありようを受け入れながら、どう料理という形で表現するかを常に考えていきたいと思っています。
「オマールブルー ハイビスカスと帆立貝のタルタル」父・久岡冬彦氏作の青白磁の器に、余白を生かした盛り付け。鉄板で焼いたオマール海老、赤紫蘇とハイビスカスのビネグレットのシートの下に、ラディッシュや伝統品種のきゅうりなど夏の野菜を添えて
──「庭」と「料理」。ご自身の生み出してゆくもので、ゲストにどんなことを感じてもらいたいですか?
北山:究極で言うと、言語や国籍を超えて、私の作った庭を前にして「安らぐわ」と思ってもらえたらそれでいいんです。自然とつながっていると感じる安らぎは、宇宙とつながることでもあります。それに気づかせてくれる媒体として庭がある、というイメージです。
西洋の美とは、形のある美であり、日本の美の究極は、精神性など形のない美であったりすると思います。だから、私は庭に「これだ」という形を作らない。作った時点で限定されてしまうけれど、宇宙は限定されないものだからです。長い目で見れば、形のあるものはいずれ壊れますが、形がないものは壊れない。そんな、目に見えない日本の精神性、内側の美を伝えていきたいと思っています。
久岡:私たち、ホテルの役割は、日本の美意識を世界に伝えていくことでもあると思っています。この八坂を通して、ローカルとグローバル、生産者と食べ手を繋ぐ橋渡しをして行きたい。美意識というのは、日常の中にあると思っています。ただ漠然と木を見るのではなく、「今のこういう形がきれいだな」という感性を持つことで、美しいものが生まれてくるし、それが日本の芸術につながってきたと思います。そういったことの積み重ねが料理人としての色につながってくると思います。
庭と一緒で、奇をてらったものは一瞬面白いけれど、何度も見たり食べたりするのなら、安らげる料理がいい。体に取り入れてホッとできる料理、と考えると、やはり普遍的なおいしさの追求に行き着くような気がしています。