──そういう意味で、北山さんが作られた「叡心庭」(プリツカーガーデン)はとても印象的な作品ですね。ここでは、京大和の庭園にあった法隆寺の伽藍石と、ハイアット会長トーマス J.プリツカー氏より贈られ、コロラド州アスペンから海を渡った3億年以上前の石が組み合わされている。西洋と日本の石材を組み合わせつつ、まるで太古の自然をそのまま映したようです。
パーク ハイアット 京都のエントランスを入るとすぐ目に飛び込んでくる「叡心庭(プリツカーガーデン)」
北山:これは「浄土の庭」というイメージで作っています。大切にしているのは、作り手の意思というか、エゴや人間臭さのない庭です。まるでもう、自然そのもの、というような清浄な空間を作りたいと思っているのです。
よく「北山安夫の世界」なんて褒めてくださる方もいらっしゃるのですが、本当は、僕一人でおさまるような小さな世界ではなくて、僕が作ったものを自然が受け入れてくれた、自然や宇宙そのもののような庭を作りたい。訪れた人が、庭の中に僕ではなく、自然と対峙している自分自身を感じるような、そんな庭作りが目標です。
──作為のない美しさを感じる庭、ということですね。時代も産出地域も異なる石を使いながらも、普遍的な美を引き出しているのが素晴らしいと思います。空間に様々な要素を立体的に組み込んでゆくという意味では、庭と、器などの料理の盛り付けも、どこか近い部分があるように感じます。
久岡:私が料理長を務め、フランス料理を取り入れた鉄板メニューを提供するレストラン「八坂」は、フランスで培った技を生かしつつもジャンルに囚われず、多くの方が「おいしい」と感じる普遍的な味を提供していきたいと思っています。
盛り付けに関しては、西洋では「傷物」と捉えられてしまうような歪んだお皿も、日本では「景色」として肯定的に捉える。そんな自然のあるがままの形を生かして盛り付けをするのが、日本の美意識ではないでしょうか。
狩猟民族と農耕民族の違いかもしれませんが、日本では、器が壊れたら新しいものを作ろう、ではなく金継ぎをするなど丁寧に直して使い続ける。さらに「用の美」が根付いているのも特徴だと思います。
北山さんの庭とともに八坂の塔の素晴らしい展望が楽しめるシグネチャーレストラン「八坂」
──日本には「日常生活がすなわち悟りである」という禅宗の考えが根付いていますから、日々使う手仕事の器にも、職人仕事や美意識が徹底しているというわけですね。
北山:禅というのはひたすら自我をなくし、無心であることを追求するわけです。それを長期的な視点で見ると、普遍である、ということにもつながります。自然相手の作庭は、一つの仕事を完成させるのに三代、つまり100年かかる仕事です。だからこそ、流行ではなく普遍を追い求める必要がある。「これまでの最高傑作は」なんて聞かれますが、どれ一つとってもまだ完成していないわけですから、当然選べません。
庭づくりは、人と樹木などの自然との関係性を長期的に続けていく仕事でもある。自然の究極の形は宇宙で、宇宙は無限です。ですから、私たちの思想も、一人の人間の可能性やエゴを遥かに超えた、普遍であり無限でないといけないと思うのです。