NYじゅうの「女性」を勇気づけるスピーチ
ホークルはスピーチの終盤で次のように語っている。
“Today, for the first time in New York history, a woman will enter that arena as Governor. As I undertake the weighty responsibilities before me, know that I have the confidence, courage and the ability to lead New Yorkers forward. And to make New York’s women proud.
You will find me to be direct, straight-talking and decisive. I will not be deterred, and I’m willing to be bloodied and marred in the pursuit of doing what’s right for the people of this great State”
“今日、ニューヨークの歴史上初めて、女性が知事としてこの分野に参入します。目の前にある重い責任を引き受けるにあたり、私は自信と勇気と能力を持って、ニューヨーカーを前進させます。そして、ニューヨークの女性たちに誇りを持ってもらいます。
皆さんは、私が直接的で、率直で、断固とした性格であることに気づくでしょう。この偉大な州の人々にとって正しいことを行うためには、私は決して挫けませんし、血を流し傷ついても構わないと思っています”
この言葉に、重圧を前にした彼女の闘志と意志の強さがあらわれている。
ただ、筆者はホークルの知事就任を通して、「初の女性」という冠言葉が付けられない時代が早く来ることを更に強く願うようになった。それがつかなくなることは、世の中で女性・男性関係なく、様々な役割を適切な能力を持った人々が担えるようになっている証だから。
6月に経団連の副会長に就任した南場智子さんの言葉「『初めての女性副会長』と大きく取り上げられ、驚きました。女性というラベルが貼られて、もう南場智子というよりも『女性』になってしまったようです」も頭に浮かんだ。
女性も男性も同じ生命体なのに、未だこのようなことに「初の女性○○」と話題になってしまう。それは日本だけでなく筆者が住むアメリカでも。その度に何ともいえない感情を抱く一方、0が1になり、「初」の何かが生まれる未来に向かう大きな力に、たくましい生命力を感じる。なぜなら前例がないところに何かをつくることは、そこに伴う覚悟や痛みは相当なものだからだ。
AP通信の報道によると、米国で知事を務める女性は現在9人。そのひとりとなったホークル知事のプレゼンスとリーダーシップによってつくられる、NY州の新しい「透明性の時代」に大きな期待をしたい。