デザートコース5万5000円 知られざる「kominasemako」の世界

バラ科のカルパッチョ(C)Moderniss & Co. 2021


そんな駒瀨さんが考える「贅沢」とはなんだろう。

「今は、本当に自然なものを食する機会が少ないし、自然を感じることが少なくなりました。子どもの頃、山苺を摘んでワクワクした時間は贅沢だったと思います。それはなくなってしまった訳でなく、山苺はいつも身近に存在し、本当は視界にも入っているはずなのに、時に人は見過ごしてしまう。きっかけさえあれば子どもの頃の感覚を思い出すのに。純粋な気持ちで自然を受け取れる心があれば本当の贅沢を感じられるのだと思います」

大切なものを大切にできる人にだけ届けたい


駒瀨さんと話してみると、改めて、とても本能的で、感性の鋭敏な人なのだと思う。2年前に、拠点を名古屋から東京に移した理由も「その場所に自分がいることに違和感を感じたから」なのだという。

お店を紹介者同伴制にしていることについては、「お店は、わたしの心みたいなものです。わたしが見る世界を、『わたしはこう感じるの。』と心の中の大切なものを差し出しているような。だから、受け取る側も大切に受け取って欲しいと思うのです」と胸の内を明かす。

「名古屋で、誰しもが予約なくご来店いただけた頃、お店を始めたばかりの当時のわたしが対面した多くの“普通の人達”から、当たり前のように点数をつけられたり、写真を撮ることに夢中で無意識の無礼に気付かない人達に心を踏み荒らされることに疑問を感じ、わたしは、広く浅くみんなに支持されるのではなく、大切なものを大切にできる人にだけ大切に届けたい。との考えに至りました」

シグネチャーの一品以外の写真撮影は禁止。このSNS全盛時代、拡散を期待して「映える」ように店の照明を設計するのが当たり前の時代に、である。駒瀬さんの世界を共有する共同体は、ある意味SNSのデジタルワールドとは相反する形で存在しているといえる。それでも、嬉々として全国から人が集まる。


(C)Moderniss & Co. 2021

現代の風潮は「カメラ・イーツ・ファースト」と表現される。つまり、人間が食べる前に(写真を撮る)カメラが食べる、それはある意味、皿の上のものと食べる人の間に、必ずカメラが介在する、ともいえる。さらに、写真を撮るという行為は、その写真をみる他者の目線を意識することでもあり、純粋な「自分と対象物」という2者間の関係性ではなく、「その写真を見る誰か」という3者の関係性になる。

そんなデジタルワールドが、いくばくかの今を犠牲にして、「外へ繋がり、広がっていく」究極の方法なのだとしたら、駒瀨さんの世界は真逆にある。「その瞬間に集中し内に深めていく」方向性だ。

今、自分がここでどうやって目の前の素材と向き合うか、今、ここで何を感じるか。そこには、スマホやカメラのファインダーという外的他者の入り込む余地のない、直接的で自発的な関係が構築され、だからこそ揺るがない価値と、人は感じるからなのではないか。

駒瀨さん自身の写真はメディアを含め、一切外部に露出されない。「賢いメディア戦略だ」という人もいるだろう。でも、わたしにはそれ以上に、駒瀨さんに、自分自身を完全に透明な媒体としたいという思いがあるように感じられてならない。「わたしではなく、わたしが作るものと、あなたが最も純粋な形でつながって欲しい」と。

広く浅く、ではなく、ディープなファンと、価値観を深く共有する時代へ。駒瀨さんのデザートはそんな時代の変化をも、映し出しているのかもしれない。

文=仲山今日子

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