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2021.09.06 07:00

旧ソ連アルメニアの写真アプリPicsartがユニコーンになれた理由


ソ連の崩壊で訪れたカオス


アボヤンは1965年にアルメニアの首都エレバンに生まれ、医学教授で病理学者である母親に育てられた。その当時のアルメニアは、ソビエトの共産主義のもとで安定していたが、退屈でもあり、最良のキャリアパスは、共産党の幹部になることだった。

美術の道をあきらめたアボヤンは、アルメニアのアメリカン大学(American University of Armenia)でコンピューターサイエンスの博士号を取得することを目指した。

しかし、1992年に革命が起こってソ連時代の安定が失われ、紛争と資本主義のカオスが押し寄せる中で、学者たちは起業家になった。

1996年、当時30歳だったアボヤンは、博士課程を中退してソフトウェアサービス会社のCeditを立ち上げ、4年後に初期のウェブ検索エンジンであるLycosに数百万ドルで売却した。その後、ウェブサイトの監視サービスMonitisを立ち上げた彼は、2011年に同社を400万ドルで別の企業に売却し、Picsartを立ち上げた。

アボヤンは、スタートアップの経営者を務めつつ、母校の大学の教壇に立ち、そこで知り合った2人の元学生とともに、Picsartを立ち上げた。

アルメニアではiPhoneが珍しく、エンジニアのほとんどがJavaでプログラムを書いていたため、まずアンドロイドでアプリを立ち上げたが、この偶然の選択がその後の成功につながった。アンドロイドOSでは、画像編集アプリの競合が少なく、Picsartはすぐに世界中のユーザーに利用されるようになった。

アボヤンと彼のチームは、毎週金曜日の深夜にアプリを更新するなどのグロースハックを駆使し、Picsartがアンドロイドのアプリストアの注目リストに載るようにした。また、毎週新しいツールや機能を追加することで、顧客が定期的にアプリをチェックする理由を作った。

IPOを視野に


Picsartの事業が成長するなかでアボヤンは大学とのつながりを利用して、毎年200人のコンピューターサイエンスの学生をインターンとして採用した。「インターン採用は最良のリクルーティングだ」と話す彼は、今でもこの試みを継続している。

アボヤンは新規に調達した1億3000万ドルの資金を、より多くのAI機能を導入するためのエンジニアリング人材の雇用に充てる計画だ。デザインツール市場では、数百もの小規模なアプリや、Canvaのようなユニコーン企業、年間売上が130億ドル近くの巨大企業のアドビ(Adobe)などの競合がひしめきあっているが、Picsartは成長ペースを維持したいと考えている。

アボヤンは、今後1年から1年半の間にPicsartをIPOさせようとしている。

Picsart は、2015年にセコイアから最初の出資を受けた後に、本社をサンフランシスコに移したが、総従業員数が800人に達した今も、エンジニアリングチームの大半をアルメニアに残している。アルメニアの人件費は安いが、アボヤンはこの国のアウトサイダーで常識にとらわれないカルチャーこそが強みだと考えている。

「アルメニア人は、抜け目ない知恵で、常に現状を打破しようとしている。スタートアップとは、すべてのルールを変えていくことだ。私たちはみんな、革命を生き抜いてきたのだ」とアボヤンは語った。

編集=上田裕資

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