2002年にジェフから最初に指示された仕事は、テキサスへの出張の手配だった。テキサスに行って、このリストに書かれている地所を見学したい。そう言ってわたしの机に置いたリストには数字が延々と羅列されていた。それはGPSの座標を示したものだった。そのときは場所を指示する方法にしては変わっていると思ったが、広大な牧場や広い土地で、場所の指定にはそれしか方法がなかったのだ。
与えられた日数ですべての地所を訪問するのは事実上不可能だった。わたしは即座にそう判断し、滞在日数を増やすか、訪問場所を減らすしかないと当時の上司のジョンに訴えた。ジョンは顔をあげもせずにこう言った。
「できないという答は必要ない。どうにかしなさい」
そこでわたしは自分のデスクに戻り、必死で考えた。「チャーターしたジェット機での移動は無理だ。滑走路がない。車で移動するには距離がありすぎる。どうやって移動すればいい?」。そして、思いついた。「そうだ、ヘリコプターを使えばいい」。
当時わたしはまだ20歳で、ヘリコプターをチャーターした経験などなかった。そこであれこれ調べて、チャーターできる会社を見つけ、身元調査書類をひととおり準備し、どうにかジェフを初めてのテキサス出張に送り出した。
出張から戻ったジェフはクリスマス当日の子供のように上機嫌だった。彼がテキサスで何をしていたのか、そのときはまだ誰も知らなかった。ただ、ジェフは現地で見た地所がとにかく気に入って、どこを購入するか決めるために、もう一度テキサスに行きたいと言った。
ジェフ・ベゾス(Getty Images)
わたしは再びヘリコプターを手配し、彼はまたテキサスに出かけていった。
そしてある日の早朝、まだ誰も来ていないオフィスに1人でいたときに電話が鳴った。ヘリコプターを手配した会社からだった。「アン、落ち着いて聞いてほしい」。言うまでもなく、その言葉でわたしは落ち着きを失った。「緊急信号が発動した。ヘリコプターが衝突したようだ」。手が震えてペンを握ることができず、ジェフの指示を書き取ることすらできなかった。
ジェフ・ベゾスを殺してしまった。わたしは内心そう思った。
ベゾスだけではない。アマゾンという会社も死に追いやってしまったのだ。それは2003年のことで、ご存じのとおり、当時のアマゾンはまだ「儲かる企業」ではなかった。四半期単位で利益を出せることはあっても、年間ではまだ黒字ではなかった。株価はひとえにジェフへの信頼と彼の並外れたビジョンに依存していた。