あの差別発言を受けて、生活保護がつないできた命を想う

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生活保護がつないできた命がある。

屋根のある家があって、食うに困らず、必要な医療が受けられて、しっかり眠れる布団があることは、命を守る安全のベースとなる。それこそずっと後になってから「生活保護を受けることには抵抗があったけど、本当はあのとき、ホッとしたんだ」と伝えてくれることもある。休んでいい、誰かに苦しいと伝えたり頼っていい、そう思うことを自分に許せるようになるにも時間がかかることを、私はみんなから教えてもらう。

生きる力の回復のため、「抑圧」を外していく


「生活保護を受けていることの罪悪感や後ろめたさを抱かされ続けていると、本当の安心は育まれていかない。生きていてごめんなさい、の思いはずっと心にあるままです」。これは、私の職場「アフターケア相談所ゆずりは」の高橋亜美さんのことばだ。

人は外から抑圧を受け続けると、だんだん自分の内側に矢印を向けて、「お前なんかダメなやつ、価値がない」と、自分で自分を抑圧し出し、小さく小さくしていってしまう。虐待やDV、いじめも、生活保護批判も、大きな抑圧だ。人としての尊厳、生きる力を回復するには、その矢印を外側に向けて、自分の中にある「私自身」を大きくふくらませていかなければならない。

そうやって生きる力を回復させていく社会の方を、私は選びたい。人と人が出会って、学び合いながら、気づき、喜び合う社会。自立を強いるより、どうやったら孤立しないで生きられるかの方を、私は考えたい。



多くの傷つきを経験し、他者も傷つけ、荒れ果てた大地を孤独に歩いてきた人が、気づき、学び、変化しようとする姿を、私は度々、目撃させてもらってきた。そこには人や社会との出会いがあった。

もちろん、道のりは平たんなものではなくて、変わろうとしても変われないと行きつ戻りつもするのだけれど、だからこそ、「うれしい」や「楽しい」の気持ちがその人の中に生まれていくことを大事にしたい。こんなこと思ってもいいんだ、気持ちがわかってもらえてうれしい──その積み重ねが「安心」の種となり、水をやり、芽が出て、いつか大きな木となることを信じている。

誰かと比較して評価したり、脅しや意地悪なことばのつぶてを浴びせるのではなく、共に笑い、楽しいね、美味しいね、うれしいねと言い合う時間を大切にできる社会は、困窮した人だけでなく、そうでない人も生きやすい社会だ。今回の差別発言をきっかけとして、そんな当たり前のことが社会の中に浸透していくことを願っている。

【連載】共に、生きる──社会的養護の窓から見る
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文=矢嶋桃子

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