建築家・隈研吾が中華街で学んだこと

放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、今宵は建築家の隈研吾さんが訪れました。スペシャル対談第1回(前編)。


小山薫堂(以下、小山):隈さんの思い出のレストランはどこですか。

隈 研吾(以下、隈):横浜が近かったから、中華街に行くのがすごく好きでしたね。1960年代の中華街って中国そのものみたいな異国情緒があったし、料理自体も近所の中華屋とはまったく違っていた。見知らぬ何かを出されてもとりあえず食べてみようと思うのは、中華街で何でも食べたという体験があるからだと思う。あと、料理人やサービススタッフと親しくなることも覚えました。紹興酒のかめをいただいて、自宅で花をいけたりとか。そういう人間関係が当時のあの街では成立していたんです。

小山:blankにもよくいらしてくださっていますが、どこを評価しておられますか。

:ここも人間関係かな。いまのレストランは人間関係をつくれないところが多い。ここは料理人のゴローさんに食べたいものを注文できるし、(料理の)研究成果も聞けるから楽しい。人間関係ってレストランにも意外と重要だと思います。

小山:では、これまでに訪れた世界中のレストランのなかで、設計がうまいなと思った店はありますか。

:デンマークの最初の「noma(ノーマ)」は感心しました。1800年代に建てられた元倉庫が「北大西洋ハウス」という文化芸術施設として再利用されたときに開店したんだけど、ちゃんと建物のオンボロさを残しながら設計してあった。高級レストランを設計するとなると、普通はボロさを消してしまうんです。でもそれをあえて残すことで、特別感が生まれていたというか。

小山:100年超えの時間がレストランの空間づくりに一役買ったわけですね。

:そう。しかも、「古いもの」って新しくつくれないでしょ?

小山:確かに。リノベーションの依頼はよくあるのですか。

:けっこうあります。古いものを現代に通用するものによみがえらせるの、わりと好きなんですよ。「GINZA KABUKIZA」も楽しかったな。1889年創設の初代歌舞伎座から数えて5代目を設計したのだけど、歌舞伎座という「型」は継承しつつ、新しい公共空間としての「芝居町」を創出した気持ちでいます。

いま手がけているもので面白いのは、早稲田大学国際文学館「村上春樹ライブラリー」。大学側が「本当にこれでいいのですか?」と不安がるほどボロい4号館をリノベするんだけど、その建物の何でもなさが逆にカッコいいし、うまくリノベーションできたら村上ワールドそのままの空間が構築できると思います。
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写真=金 洋秀

この記事は 「Forbes JAPAN No.083 2021年7月号(2021/5/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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