アラビア語で「神学生」を意味する彼らは1990年代、アフガニスタン第2の都市、カンダハルで誕生した。イスラムのシャリア法を厳格に解する彼らは、女性の人権を無視し、様々なテロ行為を犯すなどし、国際社会から恐れられた。そんな彼らがなぜ、米軍撤退も完了しないうちに、やすやすと権力を回復したのか。
アフガニスタンに駐在した複数の外交筋によれば、米軍が20年かけてもタリバンを駆逐できなかった理由は、彼らの「清貧な振る舞い」にあるという。もちろん、タリバンは上述したように残虐な事件を何度も引き起こしてきた。活動資金を獲得するため、麻薬を売りさばき、支配地域では勝手に関所を設けて通行税を徴収した。それでも、現地に住む人々にとっては、「予測可能性の範囲内」(外交筋)の行為なのだという。
911後に誕生したアフガニスタン政権は腐敗の巣窟だった。市民はなるべく、行政や司法組織との関わりを避けようとした。役所で発給される各種証明書や商売に必要な許可証、裁判や学校進学など、ありとあらゆる場面で賄賂を求められるからだ。これが、地方の部族長などが立法や行政を主導する、伝統的なアフガニスタンの統治スタイルを崩せなかった大きな要因のひとつだったとされる。
日本政府も911以降、アフガニスタンに約7千億円の支援を行った。最盛期には「アフガニスタンの全警官の給与の半額を、日本が支払っている」とされたが、書類でしか存在しない「幽霊警官」も相当数いたとされる。
アフガニスタン政権に参加した人々は、米国が喜ぶ西欧教育を受けた人が多かった。彼らはイスラム教徒だが、腐敗していた。外交筋の1人は、ある国際会議の際、アフガニスタン代表団が泊まっている高級ホテルを訪ねた。スイートルームの前まで来ると、大騒ぎしている声が聞こえた。中に入ってみると、高級ブランデーで酔っ払った代表団が醜態をさらしていた。
また、米軍のアフガニスタン侵攻に伴い、生まれ故郷に戻ってきた人々のなかに旧王族がいた。彼らの多くはイタリアで生活していたため、カブールのイタリア大使館が主催するパーティーを楽しみにしていた。そこでもやはり、当然のように高級なワインやシャンパンを堂々と楽しんでいた。
旧王族の女性は、肌の露出した服に化粧をばっちり決めて、やはりパーティーを楽しんだ。まだ、人口の半分以上が貧困生活を送っているとされるアフガニスタンの人々が見たら、眉をひそめること請け合いだったろう。