クリエイターでありながら、プロジェクトマネジャーとしての力も必須。作品にまつわる全方位の事柄をこなす、映画監督が想う未来とは。
北野:大友監督は、これまでの日本の映画監督がやられていない手法を開発されてきました。NHK時代にさかのぼり、キャリアの原点を伺えますか?
大友:最初のターニングポイントは、ドラマ『ハゲタカ』(2007年)です。それまで何十本もテレビドラマをやって、ようやく自分の思い描く作品ができました。現在進行形で起きている社会の事象と並行してつくった作品です。例えば、村上ファンドの村上(世彰)さんの会見などは、報道部よりもうちのチームのほうが早く駆けつけましたから。
さまざまなマネジメントの方に実際に取材した経験からも多くのことを得ました。映画とはアートだけではなく、ビジネスです。クリエイティブ同様、マネジメントをどうコントロールするかが大切。その後の『白洲次郎』(09年)では、従来のテレビドラマの制作を替えて、映画業界から美術などのスタッフを呼び、自分で脚本を書き、テレビドラマとまるで違うやり方でつくりました。
北野:では、福山雅治さんを主役に迎えた大河ドラマの『龍馬伝』(10年)は?
大友:坂本龍馬という、一歩間違うと大変な題材を扱った勝負の作品です。あらためて過去の大河を見て「自分の名前でこういう映像を出すのは絶対に嫌だ」と思いました。そこでカメラを替え、編集体制も替え、何もかも丸ごと替えた。僕と心中できる、侍たちを集めたわけです。支えてくれるチームをつくれたことで、1年間の『龍馬伝』を走り切れました。
北野:それは真のプロジェクトマネジャーですね。しかも、かなり「面倒くさいやつらを集めたチーム」のリーダー、まるで『七人の侍』のようです。
大友:彼らは本当に、超面倒くさいですよ(笑)。
北野:(笑)。そうしたクリエイティブな人たちの熱を引き出す際に大事にすることはありますか?
大友:普通と逆ですが、監督は自分のやりたいことや真意を「明確にすべきでない」と思っています。答えを提示しない。スタッフがそれを発見する。彼らは僕の作品を見ているので「このラインを超えなきゃいけない」とある程度わかっていますから。『ハゲタカ』以降、そのハードルを上げてきました。
監督はプロである彼らを信頼して、自由や権限を与え、目を見て話しながらどんどん背中を押す。間違ったところに行ったら修正しますが、僕の思う通りにやってくれというつもりは全然ありません。
北野:映画版『ハゲタカ』(09年)で初メガホンを取りましたが、独立後の映画初監督作は、世界にも配給された『るろうに剣心』(12年)ですね。
『るろうに剣心 最終章 The Final』と『同 The Beginning』では、大友監督が脚本も手がける(配給:ワーナー・ブラザース映画)©和月伸宏/集英社©2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
大友:ロサンゼルス滞在時、いまほど大きなマーケットではなかったものの、日本のアニメや漫画は世界に通用するという熱量を感じていました。当時、香港の映画人がアクションを武器にハリウッドに殴り込んでいた。言葉の要らないアクションは簡単に海を超えられる、そう思いました。漫画、アクション、加えて海外でも人気のサムライもの。この3つが揃った原作に魅力を感じました。